ハワイの基礎知識

 

まずはハワイがどのような所か調べてみました。
誰もが想像する南の島、常夏の楽園、
そんなイメージの裏にもう1つ、
大切な歴史が隠されていました。

一般情報 /  ハワイ語 /  フラ /  気候 / 

自然環境 /  歴史 /  おいしいもの /  見どころ

 

■ 一般情報
正式州名: ハワイ州(State of Hawaii) 
州歌: ハワイ・ポノイ(Hawaii Onoi
面積: 総面積16643.5平方km
人口: 1244898
州都: ホノルル
民族構成: 白人系24.3%、アジア系41.6%、2民族以上の混血21.4
言語: 公用語は英語。ハワイ語も使われる。
通貨: ドル、セント
ビジネスアワー: 銀行→月〜木曜9時〜16時、金曜9時〜18時、土・日・祝祭日は休み
         デパート、ショップ→月〜土曜10時〜21時、日曜10時〜17
         レストラン→朝食7時〜11時、昼食1130分〜1430分、ディナー17時〜22時頃
電圧: 110V60Hz
チップ: タクシー→メーターの15%程度、レストラン→勘定書の1015%、ベルマン・ハウスキーパー→$1
日本からのフライト時間: 往路→6時間半〜7時間、復路→7時間半〜8時間
日本との時差: -19時間
国際電話: 日本からハワイへ→001(または0041等)+010+1+808+XXXXXXXX(相手の電話番号)
       ハワイから日本へ→011+81+ XXXXXXXX(相手の電話番号の最初の“0”を取ったもの)
日本への国際郵便: ハガキ→70セント、封書→80セント〜
出入国: ビザ→90日以内の観光・業務の目的で、往復航空券を持参していればビザ不要
      パスポート→有効残存期間が帰国日まであればOK
税金: 買い物、食事の際は約4.166%の州税、ホテルの宿泊料には州税の他に7.25%のホテル税
年齢制限: 21歳未満の飲酒禁止、車の運転資格は21歳以上
禁煙条例: オアフ島、マウイ島、ハワイ島、モロカイ島、ラナイ島、カウアイ島のレストランではオープンエアのテラスを除き全面禁煙。
祝祭日: 元日→11日、キング牧師の誕生日→1月第3月曜、大統領の日→2月第3月曜、クヒオ・デー→326日、グッド・フライデー→イースター前の金曜→、イースター→年によって異なる、戦没者慰霊の日→5月最終月曜、カメハメハ・デー→611日、アメリカ独立記念日→74日、州立記念日→8月第3金曜、労働祭→9月第1月曜、コロンブス祭→10月第1月曜、復員軍人の日→1111日、感謝祭→11月第4木曜、クリスマス→1225


ハワイ州の州旗と島の位置関係。オアフ島ってこういうところにあるんだね。

ページトップに戻る

■ ハワイ語
ハワイ語はインドネシア語、マレー語、ポリネシア語と同一語派である。
元々文字をもたなかったハワイ語だが、19世紀前半に宣教師が文字を伝え、ハワイ語のローマ字表記が始まった。
母音→[aeiou]の5
子音→[hklmnpw]の7
7
つの子音で外来語を受け入れたため、“Merry Christmas(メリー・クリスマス)”→“Mele Kalikimaka(メレ・カリキマカ)”、“Diamond(ダイヤモンド)”→“Kaimana(カイマナ)”と変化した。
1840
年にハワイがキリスト教国となり、1893年にハワイ王朝が転覆、1894年にハワイ共和国設立し、公用語が英語となる。現在ハワイ語で日常生活をしているのはニイハウ島に残っている少数の人々のみ。
mauka (マウカ)→内陸側
makai (マカイ)→海側
kane (カネ)→男性、夫
wahine (ワヒネ)→女性、妻
keiki (ケイキ)→子供
hana (ハナ)→仕事
ohana (オハナ)→家族、仲間
holoholo (ホロホロ)→ぶらぶら、散歩
aloha (アロハ)→愛、挨拶の言葉等
mahalo (マハロ)→ありがとう
pau (パウ)→終わり
make (マケ)→死

ページトップに戻る

■ フラ
古代ハワイでは伝統や史実を伝えたり、アリイ(王族)を称え、その偉業を伝えたりするためにフラが踊られていた。元々文字をもたなかったハワイにおいて、フラの踊り手とチャント(詠唱)を唱える者は歴史の語り部であった。1970年代に起こった“ハワイアン・ルネッサンス”の影響で、多くの小学校で子供たちがフラを学ぶようになった。またハラウ(フラの教室)も劇的に増え、競技会も行われるようになった。
フラの動きのうち、足の動きには何十ものステップがあり、上半身の動きは語る内容(史実・自然現象など)を表している(ex. 両手を上げて見上げる→高貴な人や神々を表す、片手を目の横に添えてもう片方の手を前方へ伸ばす→見るという動作を表す、頭上で水平に円を描くように手を回す→風を表す)。ただし、クム・フラ(フラの師匠)や地方によって表現方法は異なり、同じ「風」でも100以上の表現があると言う。
フラの種類には「
カヒコ」(古典フラを指す)と「アウアナ」(モダン・フラ)がある。「カヒコ」はイプヘケ(打楽器)とチャント(詠唱)に合わせて踊る。神や王族へ捧げるために踊られたカヒコは力強く厳粛な雰囲気が漂う。古代戦士の踊り「ルア」を取り入れた踊りなどもある。「アウアナ」は宣教師によって禁止されていたフラをカラカウア王が復活させてから生まれたもので、ウクレレやギター、歌に合わせて歌うもの。恋人同士の愛を歌うものなど、ロマンチックな内容のものが多い。
英語の歌詞の歌は「ハパ・ハオレ・ソング」と呼ばれるが、ハワイ語の歌の方が好まれている。

イプは打楽器、プーはホラ貝、ウリウリはマラカスのようなもの、プイリは竹の先を削ったもの。

ページトップに戻る

■ 気候
ホノルルの平均気温は25.1度、月間平均最高気温27.4度、月間平均最低気温22.7度、平均湿度68%、年間降雨量559mm
1
月〜12月の気温変化の目安は次の通り。
1
月:
17252329
2
月: 23272428
3
月: 19262228
4
月: 21252429
5
月: 24272832
6
月: 23272631
7
月: 23332832
8
月: 25272734
9
月: 26283038
10
月: 25282734
11
月: 24262631
12
月: 23262527

ページトップに戻る

■ 自然環境
現在、標高約1200m以下の環境ではハワイ固有の動植物はほとんど見られないという。何故このような環境になったのか?
一番近い大陸から4000km以上離れているハワイ諸島では、元々哺乳類や爬虫類のいなかったため、飛来した鳥や、潮に流されてたどり着いた植物の種が生き延びていった。このとき棲みついたのがミツスイ(植物の実や花の蜜を餌とする)だった。このミツスイや植物が独自の進化を遂げていった。
1500年前前に入植したポリネシア人によってブタやネズミ、ニワトリなどを持ち込み、ハワイの生態系が大きく変わった。持ち込まれた動植物は2030種、また農地を造るために野焼きをした。これにより、鳥たちの生息する森林が徐々に破壊されていった。
1778
年にキャプテン・クックが渡来し、世界中にハワイが知られるようになると、羊や牛が持ち込まれ、家畜の放牧が始まった。やがて野生化した家畜たちが草や木の芽を食べ、ハワイ固有の森林はさらに破壊されていった。
こうした自然環境の変化により、50以上の種に進化したミツスイは、1800年頃までに半分の種が滅んでしまった。以下、ハワイに持ち込まれた動植物と自然環境の変化を一覧にまとめる。
西暦500年頃: 入植したポリネシア人がブタ、ネズミ、ニワトリ等を持ち込む。
1791
年: 最初の羊が持ち込まれる。
1793
年: 最初の牛が持ち込まれる。牛を繁殖させるため、カメハメハ大王は牛の捕獲を100年間禁止した。
1825
年: グアバの一種が持ち込まれ、後に熱帯雨林を蝕むことになる。
1832
年: 商業的な砂糖生産がはじまり、サトウキビ農場として土地が切り開かれる
1883
年: サトウキビ農場を荒らすネズミ駆除の目的でマングースが輸入され、マングースがハワイの鳥を襲う。
1890
年代後半: パイナップル産業が興り、パイナップル畑が各地に造られる。
20
世紀初頭: 製糖業用に灌漑用水路が造られる。
1920
年: ハワイ砂糖キビ栽培協会が取り寄せた木の種が猛烈に繁殖し、在来の森林を侵食し始める。
1921
年: バナナに有害な野生の蔓草がハワイ島で発見される。
1932
年: サトウキビに有害な虫を駆除するため、プエルトリコからウシガエルが持ち込まれる。
1934
年: ハワイで初めてヘビが発見される(輸入木材などに紛れ込んでいたものと考えられている)。
1949
年: ハワイ固有のガチョウ「ネネ」が絶滅の危機に瀕したため、州政府による飼育・繁殖の試みが始まる。
1982
年: ハワイ固有のミツスイの一種「カウアイオオ」が絶滅。
1985
年: 米国自然保護協会がハワイオフィスを開設し、ハワイ原産種の保護活動を開始する。
1987
年: マッカーサー財団の基金提供により、ハワイ自然保護団体事務所が開設される。ペレグリン基金により、ハワイ固有のカラス「アララ」の繁殖計画が始まる。
2001
年: ハワイ北西諸島が野生動物保護区に指定され、一般の立ち入りが禁止される。

ミツスイの一種「アニアニアウ」と、ハワイの州鳥「ネネ」。

ページトップに戻る

■ 歴史
古代ハワイにおいては、その日の糧は自然から得て、必要以上にとることはカプ(タブーの意味)として禁じられていた。これがハワイの人々の信仰そのものであった。そのため、羽根が必要な場合も小鳥を殺すのではなく、数枚取るだけで放してやっていた。しかしキリスト教がハワイに伝わり、古代の信仰は薄れていった。そのため森林破壊や動植物の絶滅が進むこととなった。
また、ハワイでは等価交換という考え方がなかったため、西欧社会の貨幣経済が持ち込まれてもその方式についていくことができなかった。1948年に「グレート・マヘレ」と呼ばれる土地改革が行われ、全てのハワイ人が土地を持つことになったが、貨幣経済に未熟であったハワイ人は次々と土地を手放し、白人が所有することとなった。そして欧米人による経済活動でハワイは急速に近代化の道を進んでいった。
また、製糖産業が大きく成長すると、労働人口の不足を補うため、多くの外国人労働移民を農場に受け入れるようになった。このため多民族多文化混合社会が生まれることとなった。たとえばウクレレは19世紀のポルトガル移民が持ち込んだ小型ギター(ブラギーニ)が原型であり、アロハシャツは1930年代に中国系移民によって造られたものである。
また、ハワイの農業収入はわずかで、収入の多くは観光業に頼っている。そのため観光開発を積極的に進め、「南海の楽園・ハワイ」のイメージを生産することとなった。このイメージの大部分はアメリカ本土で作られたもので、必ずしも歓迎できるものではなかったが、観光に収入を頼っているハワイはこのイメージを受け入れざるを得なかった。
以下、歴史略年表をまとめる。
6世紀頃: ポリネシア人が入植したと言われる。
1753年: カメハメハ王がハワイ島に生まれる。
1778年: ジェームス・クックがハワイに来る。サンドイッチ諸島と名づける。
1795年: カメハメハ大王がハワイを統一し、ハワイ王国を建国する。
1819年: カメハメハ大王没。
1820年: ボストンから最初の宣教師が渡来する。
1840年: ハワイがキリスト教国と認められる。ハワイ憲法が発布され、立憲君主国となる(カメハメハ3世)。
1843年: イギリス海軍ジョージ・ポーレット卿が勝手にイギリス領を宣言し君臨した。しかしイギリス政府は調査の上、カメハメハ3世に返還した。
1845年: 首都をラハイナ(マウイ島)からホノルルに移す。
1848年: 王国の土地改革(グレート・マヘレ)が行われたが、ハワイ人は次々と土地を失った。
1852年: 中国からの移民が来る。
1861-65年: アメリカ南北戦争(南部の砂糖が北部へ来なくなったため、ハワイの砂糖買い付けが必要となった)。
1868年: 日本から初めての移民が来る。
1872年: カメハメハの血統が途絶え、選挙でウィリアム・ルナリロ王子が即位する。
1873年: カラカウア王が即位する。その後、カラカウア王の治世に白人勢力が台頭し、王はただの象徴となる。
1875年: アメリカ・ハワイ互恵条約締結。
1881年: カラカウア王が日本訪問。明治政府最初の国賓となった。ここで移民の要請がなされる。
1885年:1回官約移民(明治18年)。
1887年: 新憲法(俗に「銃剣憲法」)制定。
1889年: 反乱が起こったものの、白人勢力により鎮圧される。アメリカ政府はハワイを事実上保護国化する条約を提案し、ハワイ人の怒りを招く。
1892年: カラカウア王がサンフランシスコで客死し、リリウオカラニ女王が即位。
1893年: リリウオカラニ女王は王権を大幅に回復する新憲法布告の準備をすすめるが、計画が朗詠し、クーデターで女王が幽閉される。アメリカ海兵隊160人が上陸し、示威活動をする。日本も軍艦を派遣する。白人一派は「臨時政府を設立して女王に降伏を迫ったが、女王は「臨時政府」ではなく、米国政府に一時降伏した。
1894年: ハワイ共和国設立。ドールが大統領となる。リリウオカラニ女王は一市民となる。
1898年: アメリカ・スペイン戦争が起こり、フィリピン戦線の前線基地として着目される。812日、アメリカ合衆国の領土となる。
1941年: 127日、日本軍がハワイに奇襲攻撃を仕掛ける。日系社会リーダー約800人がアメリカ本土の収容所へ連行される。日系2世部隊が活躍し、その忠誠心と活躍は、戦後の人種差別撤廃の大きな原動力となった。
1959年:アメリカ合衆国50番目の州となり、今日に至る。

ページトップに戻る

■ おいしいもの
ハワイにはおいしいものが多い。ハワイならではの食べ物に加え、移民たちが持ち込んだ料理も名物になっている。
朝食ならエッグスン・シングスのパンケーキかワッフル。ボリュームたっぷりでふわふわのパンケーキや、焼き加減バッチリのカリカリワッフル。どちらもたっぷりのクリームを添えてある。それからシナボンのシナモンロール。日本でもおなじみだけど、やっぱりハワイのシナボンも試したい。
お昼ご飯にはハンバーガー。クアアイナ・サンドイッチのハンバーガーやチーズバーガー・イン・パラダイスのチーズバーガー。ボリュームたっぷりで口を大きく開けないと食べられないようなハンバーガーは絶対に食べてみたい。そしてハワイといったらロコモコ。アラモアナ・ポイ・ボウルのロコモコは正統派のロコモコだ。ライス、ハンバーグ、グレービー、エッグをスプーンですくって食べるのが楽しそう。
その他にはベトナム料理、タイ料理、日本料理、イタリア料理など、おいしいものがいっぱい。カクテルならマイタイやチチ。夕焼けを眺めながらのカクテルタイムは絶対ロマンチックだと思う。


ホノルル全体図。(ランドマークは今後増える可能性有り)
■ ホノルル空港  ■ ビショップ・ミュージアム  ■ アラモアナ・ショッピング・センター
■ ハワイ動物園  ■ カピオラニ公園
● ダイヤモンドヘッド  ● ハワイ大学  ● チャイナタウン


ワイキキ周辺図。(ランドマークは今後増える可能性有り)
■オハナ・ワイキキ・ウェスト(宿泊予定のホテル)
AMSC アラモアナ・ショッピング・センター  ■IMP インターナショナル・マーケット・プレイス
■ パ・レ  ■ クアアイナ・サンドイッチ  ■ エッグスン・シングス  
■ ケオス・タイ・クィジーン  ■ チーズバーガー・イン・パラダイス


エッグスンのワッフルとクアアイナのバーガー。
これは絶対に食べたい!


シナボンのシナモンロールと
アラモアナ・ポイ・ボウルのロコモコ。


アメリカンな雰囲気の寿司も試したい。
サーモンやアボカドたっぷり?


トロピカルドリンクならマイタイとチチ。
もちろんブルーハワイも試したい!

ページトップに戻る

■ 見どころ
[1]ストリート
カラカウア通り:ワイキキの目抜き通りとして有名。距離にして2km弱。買い物にも便利で、ロイヤルハワイアン・ショッピングセンターインターナショナルマーケットプレイスワイキキ・ショッピング・プラザなどがある。
クヒオ通り:カラカウア通りに次いでにぎやか。カイウラニ通りからロイヤル・ハワイアン通りにかけての数ブロックは深夜まで人通りが絶えないが、それ以外の場所は日中でも静かな場所。
[2]ビーチ・公園
ワイキキ・ビーチ:ハワイと言えばここ。長さは3kmに及ぶ。
カピオラニ公園:一番古い公園。公園内にはホノルル動物園もある。
アラモアナ・ビーチパーク:一番人気の公園。スポーツもできる上、ビーチがすぐそこにある。山側にはアラモアナ・ショッピングセンターがある。
ハナウマ湾:珊瑚礁の広がる海洋保護区。水中マスクとシュノーケルがあれば水中散歩もできる。ただし、魚への餌付けは禁止。
[3]史跡・旧跡
ワイキキの魔法石:超自然力を持つといわれる玉石で、“マナ”が宿っているという。
ロイヤル・ハワイアン・ホテル:“ピンク・パレス”として有名。ハワイ最高の華やかなホテル。
イオラニ・パレス:アメリカ唯一の宮殿。2001年から一般公開されているが、見学には予約が必要。
カメハメハ大王像:イオラニ・パレスの海側にある。611日のカメハメハ・デーには色とりどりのレイが飾られる。実際にはハワイ島にある像の複製で、しかも大王の親友でハンサムだった男がモデルになっているらしい。
[4]博物館・美術館
ビショップ・ミュージアム:正確にはバーニス・パウアヒ・ビショップ・ミュージアム。ハワイを含めたポリネシア文化圏の人類学、生物学、自然科学の学術的収集品が展示されている。王の権威を示す“カヒリ”を展示したカヒリ・ルームもある。
ハワイ日本文化センター:ハワイの日系人の歴史、日本文化への理解を高めるという目的で設立されたギャラリー。
ハワイ州立美術館:アメリカの歴史的文化財としても登録されている行政地区1号ビルの2階にある。展示されている芸術作品は全てハワイで活動するアーティストたちの手によるものであるというのが最大の特徴。
[5]ファンスポット
ホノルル動物園:1230種類の動物が飼育されている。アフリカン・サバンナは荒野をイメージして造られており、赤土の人工的なサバンナにハイエナやキリンなどが放されている。
ワイキキ水族館:ハワイの海の豊かさが実感できる水族館。ハワイ固有のアザラシ「モンクシール」のプールは必見。
ドール・プランテーション:広大なパイナップル畑のあるプランテーション。ここでしか買えないオリジナルグッズはおみやげに最適。パビリオンに隣接する巨大迷路はハイビスカスの垣根に囲まれており、ギネスブックに世界最長の迷路として公認されたほど。
[6]ショッピングセンター
インターナショナル・マーケット・プレイス:ワイキキ最古のショッピングモール。E・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」にも登場した。
ロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンター:1981年オープンのショッピングセンター。ワイキキ・ショッピングと言ったら、まずはここ。
アラモアナ・ショッピングセンター:20万平方mという広大な敷地に4軒のデパートやスーパーマーケット、ブティック、ギフトショップ、レストランなどが入っている。ここに来れば全てのものが揃う。
スワップ・ミート:いわゆる青空市場。もとはガレージ・セールから始まったもので、古着やいらなくなったものを売ったのが、その起こり。アンティーク商品や果物、野菜なども並ぶ。
[7]ビューポイント
ダイヤモンドヘッド:ハワイのシンボル。絶好のハイキングコースで、標高232mの頂上からの眺望は素晴らしい。
タンタラスの丘:コオラウサンミャクの一部の山裾がホノルル市中央部の北にせり出している小高い丘。最高の夜景を満喫することができる。


ホノルル全体図。
■カピオラニ公園  ■アラモアナ・ビーチパーク  ■イオラニパレス  ■カメハメハ大王像
■ビショップミュージアム  ■ハワイ日本文化センター  ■ワイキキ水族館


ワイキキ周辺図。
■ワイキキの魔法石  ■ロイヤル・ハワイアン・ホテル  ■ホノルル動物園
■インターナショナル・マーケット・プレイス  ■ロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンター
■アラモアナ・ショッピングセンター


カイウラニ王女像。
クヒオ通りの新名所となっている。


ワイキキ・ビーチ。
青い空と青い海が素敵。

200514日現在)

ページトップに戻る

 

<< 最初のページ | 次のページ >>

戻る

 

inserted by FC2 system