ちねちゃんのデジタル絵日記
◆ 12月1日(月) 師走はホルモンで始まる…… 師走です。えーっと、私、ホントに今日は走ってました。午前の授業を終えて、軽くお昼を食べて、そのまま午後の学校へ。ここでも試験だの卒業製作のまとめだの文通だので、ノン・ストップで休みなし。いつもより大幅に終りが遅れて、またまた走って定時制の学校へ。いや〜、間に合わないかと思って焦りました。午後の授業の終りが遅れたのは、私のせいじゃなくて、次々に生徒が質問にきて帰れなかったからなんだけどね。んでもって、定時制の方もようやく終えて、やっと帰宅の途。 |
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◆ 12月2日(火) ソーセージ 一昨日(11月30日)は、エンちゃんが先生をしている某中国語学校の餃子パーティーにお邪魔して、たらふく手作り餃子を食べてきた。水餃子に焼き餃子、併せて50個は食べたんじゃなかろうか? |
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◆ 12月4日(木) ナンパ? 昨日、帰りがけに新宿で牛肉を買ってきた。ビーフカレーを作ろうと思ったからなのだが、それは本題ではない。新宿に寄ったついでに、いつものコモモ本舗を覗いてきた。そしていつものように淡々とクレーンゲームに向かっていたら、横に知らない男がいた。そしてソイツは「どこかでお茶しませんか?」と言ったのである。人を見て物を言え。もちろん私の答えは「しません」でした。いや〜、でも久しぶりの経験でした。 |
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◆ 12月6日(土) Remember me? 今日は久しぶりに大学まで行ってきた。2年ぶりくらいで学会に出ることにしたのだ。まあ、中文の卒業生がやっている学会なので規模は小さいけど、年4回の例会があって、それなりにきちんとしている。 |
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◆ 12月7日(日) PostPet HOUSE 今日はお昼くらいから渋谷に出かけて、PostPetのイベントに参加。何しろ限定のコモモのキーホルダーをもらえるというのだから、行かないわけにはいかない。イベントは1時開始だったけど、私は50分くらい前に行って、並んじゃいました。開始10分前に、無事に整理券をゲット。30分のショー(というか撮影会?)のあとで、しっかり限定キーホルダーをもらい、渋谷を後にしました。 というわけで、今日はピンクピンクした1日でした。 |
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◆ 12月8日(月) やんばるでゴーヤーチャンプルー 今日のお昼は新宿の「やんばる」でゴーヤーチャンプルー定食。先日の「儀来河内」の沖縄料理がちょっと不満だったので、おいしいゴーヤーチャンプルーが食べたくなっちゃったのだ。ちょうど今日は午後の授業がなかったので午前の試験が終わったらすぐに採点をして、さらに別の高校まで成績を出しに行き、新宿まで戻ってゴーヤーチャンプルーを食べることに決めた。 |
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◆ 12月9日(火) とうとう買っちゃいました〜♪ 帰りに、隣りの駅で降り、靴屋さんに寄った。随分前からロングブーツが欲しいなあと思いつつ、その思いを果たせなかった私。今日こそはいいのがあるとうれしいな、なんて思いながら靴屋に寄ったのだった。 |
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◆ 12月10日(水) とうとう買っちゃいました〜 パート2 そういえば書いてなかったけど、来週、エンちゃんと西安に行く。3泊4日で57000円(飛行機、ホテル、食事、観光付き)という値段に、エンちゃんも私もノックアウトされてしまったのだ。もちろん落とし穴はある。観光付きで4日間引っ張り回されるので、一瞬たりとも自由時間がない。つまり、自由に買い物なんかしに行けないのだ。それでも我々はなんとか時間を作って買い物をしようと目論んでいるわけだが…… それはいいとしても、今回はどうせたいしたものは買えないと思うので、いつものスーツケースでは大きすぎる。いつものスーツケースで(1週間以上の)旅行をすると、「え? 荷物はそれだけ?」と聞かれるくらいコンパクトではあるが、それでも着替え用のセーター1枚とパジャマだけなら大きすぎる(いつも行きは1/8くらいしか荷物が入っていないし……)。 |
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◆ 12月11日(木) とうとう買っちゃいました〜 パート3 今日は試験の採点と点票提出で高校を2つハシゴ。帰りに新宿に寄ってきた(←いつもいつも懲りずに……)。今月はボーナスが入るのでお買い物強化月間となっている(でも、民間に合わせるために、1月から給与は減額、ボーナスも減額である。どうなってんのさっ 私が東京都に身売りしてから下がっていく一方じゃないのさ!>石原慎太郎)。 |
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◆ 12月12日(金) ダヤンの一人旅 いつものようにJR総武線を新宿駅で降り、階段を下りかけたところで「あれ?」と思った。みんな傘を持ってるのに私だけ持ってない。どうして? 朝ちゃんと持って出たのに、ナゼないの? そこで気付く。そう、傘を中野行きの電車に忘れてきてしまったのだ。時刻は15時。お昼ご飯をまだ食べていなかったので、「何を食べようかなー」「どこで食べようかなー」「カレーがいいなあー」などとボンヤリ考えていて、傘のことをすっかり忘れちゃったらしい。うわー、ダヤンの傘、お気に入りの傘なのにぃーーーっ |
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◆ 12月13日(土) ツリーを大量ゲット! 今日は渋谷のPostPetイベントへ。でも、イベントの前も後も山ほどツリーを見て、どっちかっていうと、モモよりもコモモよりもツリーの方が印象的な1日になっちゃいました。 |
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◆ 12月16日(火) ああ、ショック! (T.T) 今日で今年最後に当たる授業が2クラスあった。そこで、今日のクラス(2時限×2クラス)は「お店屋さんごっこ」をすることにした。私とエンちゃんで2週間くらい前から準備し、お菓子を買ったり、お金の使い方を教えたり、飲みものを準備したりした。そして、昨日は生モノを購入し、今日に備えた。恐らく総計1万円以上は使ったであろう。 |
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◆ 12月17日(水) 明日から西安です 明日から中国へ旅行するため、今日はくるみをエンちゃん宅に預けに行った。エンちゃんは一緒に旅行に行くけど、旦那の○○さんは日本に残るから、エンちゃんの家のナォナォと一緒に面倒を見てもらえばいいわけだ。 |
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◆ 12月18日(木) 「一路西安」 朝、4:50に目覚ましがなった。いよいよ西安である。一緒に行くエンちゃんと「じゃあ、5時にお互い、モーニングコールしようね」と約束していたので、5時になるのを待って、電話してみる。どうやらエンちゃんはまだまだ夢の中だったらしい。うん、モーニングコールして、よかった。 これから3日間泊まるホテルは、西安の西門に程近い「古都新世界大酒店」。そこで、ホテルに入る前に「シルクロードの起点」と言われる場所に行き、ここから旅立っていった人々の石像が並ぶ場所に立った。以前、ここを発った人々ははるか西方に思いを馳せながら歩いたのであろうが、私たちが西を向くと、そこには大きなガソリンスタンドが! 昔は馬でしかできなかった旅も、今やガソリン必須の車でできる時代になったのだなあ、と感無量。 ホテルには18時に着き、一旦部屋に入り、荷物を確認してから、夕食へと出かけることになった。本日の夕食は東方大酒店。西安市旅遊局の歓迎を挨拶を受け、本日の宴会がスタート。そういえば、私が中国に行くときは、いつも一人で、こんなにぎやかな食事というのは久しぶりである。次から次へと出てくる食事を平らげながら、同じテーブルについた人たちと、会話を交わす。うーん、まだまだお互いに距離があるって感じ。たまたま、今日が誕生日というメンバーがいたので、バースデーケーキがふるまわれた。ケーキはまあ、アレだったけど(ようするに、おいしくないってことね)、料理はわりとおいしかったので、この分なら滞在中の食事については心配ないかもね。 食事を終えてホテルへと帰る途中、西大街でバスを降ろしてもらい、エンちゃんと二人、ぶらぶらしてマッサージの店を探した。ホテルの足底マッサージは1時間20分で3000円、ツアーで連れて行ってくれる足底マッサージは160元(約2100円)なので、いいところはないかなあ、と探したわけだ。すると、鐘楼のそばで足底マッサージを70分50元(約650円)でやってくれるというところを見つけた。麗晶酒店内にあるマッサージ店なので、まあ安心だろうということで、私は足底を、エンちゃんは全身をマッサージしてもらうことにした。だらだらしているうちにマッサージは終了。いや〜、気持ちよかったので、途中で意識が飛んじゃいました。だって、朝は早かったし、昨夜もあんまり寝てないし。眠気をおさえていても、やっぱりまぶたは下がってくる。それでも、ぼんやりしながらホテルに帰り(タクシーは初乗り5元、深夜料金は6元)、翌日の用意をしてからベッドに入った。すでにエンちゃんはぐっすり寝ている。とりあえず乾燥甚だしいホテルの部屋に潤いをもたらすために、部屋中に水を撒き、浴槽にも水を張っておくのは忘れなかった。 時すでに24時。おやすみ。 (旅行中につけていた日記に加筆・修正したものです。なお、タイトルの「一路西安」は“一路平安=「よい旅を!」「道中ご無事で!」”をもじったものです) |
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◆ 12月19日(金) 「茶芸多才」 明け方5時半、エンちゃんがシャワーを浴びている。6時に起きようって言ってたのに、ちょっと早過ぎないか? まあ、いいけど。私はそのままベッドの中でうつらうつらしながら過ごし、7時ちょっと前に起き上がった。隣りのベッドで寝ているエンちゃんを起こして事情を尋ねると、「携帯電話の時刻が日本時間のままだったから、6時半のつもりで起きた」のだそうだ。「あ、遅くなった!」と思って慌てて起きてシャワーを浴びて、もう一度よく考えてみたら5時半だったらしい。だから昨日、「携帯電話の時間を中国時間に直さなくていいの?」って聞いたのに。(^^; 次に、博物館前のお茶屋さんへ。ここで中国茶の試飲と、茶芸を見せてもらうのだ。で、お金があればお茶も買う、と。まずは奥の部屋で、実際に何種類かのお茶を、茶芸独特の入れ方で飲ませてもらう。一杯飲むと苦いけど、次に白湯を飲むとただのお湯が甘く感じられる不思議なお茶や、楊貴妃の好んだライチ入り紅茶などを試飲させてもらった。続いて、自由にお茶や茶器を購入するお買い物タイム! 私とエンちゃんが、シマリスのついた急須を見つけて騒いでいたら、お店の小姐が寄ってきた。「それ、欲しいなら600元にしてあげる」と、まあそんな会話をしていたところ、珍しい急須を発見。それは4つの急須をつなげると、一匹の龍の形になるもの。その値段を見てびっくりした。なんと数万元するのだ。「これ、すごいねー」と言っていると、その小姐が「そんな高いのを買うことないよ。そんなの買ったら、帰ってからママに怒られるよ!」と言う。どうやら私たちを若い学生だと思ったらしい。私は桃の形の急須(大小あって、大きい方は200元、小さい方は180元だった)がどうしても欲しかったので、小さい方を130元に値切ってみた。すると彼女はちょっと考えてOKを出したあと、大きい方を包んでくれた。小さい方が欲しかったんだけど、まあ、いいか。あとで彼女が年齢を聞くので、正直に答えたらビックリして、全然信じてくれなかった。(^^; さて、昼食は包子食べ放題。ちょっと皮が厚くて具が少なかったけど、まあまあの味。炒飯は昨夜よりおいしかったかも。たっぷり食べたあと、お土産屋さんに連れて行かれる。これはまあ覚悟してたんだけど、翡翠専門店で、その値段設定では貧乏な私には何も買えませんです、ハイ。ここでは目の保養だけして、大雁塔の観光に行く。大雁塔は小乗仏教のお坊さん達が、お腹が減って「お肉が食べたいなー」と祈ったところ、一羽の雁が落ちてきたという逸話に基づいている。落ちてきた雁はお釈迦様が姿を変えたものだと気付き、お坊さん達は大乗仏教を信じるようになったというのだ。それにより、雁の落ちてきたところに建てられたのが大雁塔だという。この大雁塔、地上24mの高さで、6階まである。塔に登るのは希望者だけということだったので、私も25元を用意し、塔に登った。一気に最上階まで登っていくと、四方が遠くまで見渡せる。少し霞んでいて、西安の城壁は見えなかったけど、それでも西安の様子が見渡せて、気持ちのいい眺めだった。今、西安はどんどん街の様子が変わっているという。今日見た景色は、次に来たときにはきっと見られないだろう。私はしっかり景色を写真に残した。 そして次は青龍寺。ここは空海が修行をした寺で四国八十八箇所の霊場の0箇所目として数えることのできる場所だという。今まで見てきた中国の寺の中で、もっとも簡素で地味な寺。どちらかというと、日本の寺に似ている。なるほど、真言宗の祖はここにあったか。 最後は興慶宮公園へ。ここで阿倍仲麻呂記念碑を見て、本日の観光は終了。バスは西安賓館に向かった。今夜はここで四川料理を食べることになっているのだ。でも、私達は西安賓館に着いたところでバスのメンバーと別れて、火鍋を食べに行くことにした。ガイドの金さんに市内で一番おいしい火鍋屋さんを教えてもらった。家族3人で160元くらいだと言う。それなら値段も心配ないので、安心して「竹園村」に向かうことになった。バスの運転手さんによれば、この時間帯は車が混むので、タクシーではなく、路線バスを使った方がいいとのこと。エンちゃんと私は、それぞれ1元を手に持ち、バス停で「一寨」を通るバスを探す。何路線か見付けたので、口の中で路線番号をぶつぶつ呟いていると、早くもそのバスがやってきた。私達はやってきたバスが停まり、客が降りるのを待って乗り込んだ。いや、乗り込もうとした。ところがエンちゃんが乗ったところでバスのドアが閉まり、私はドアの前で呆然。すぐにドアを開けてくれたので私も乗ることができたが、どうも様子がおかしい。私達はバスの中央にある出口から乗ってしまったのだ! 入口は前方にあったのだ。しばらく「どうしよう?」と相談していると、バスの運転手に「後ろから乗った2人の小姐、お金を払いなさい!」と怒られた。慌てて私がお金を払いに行ったが、しばらく動揺がおさまらなかった。きっと「この田舎モノが!」と思われたことだろう。乗客たちも「ほんとにもう、田舎者なんだからっっ」と思ったに違いない。そして、降りるバス停を探そうにも、今停まっているバス停がどこなのか全然分からない。結局まわりの人に「一寨はどこ?」と聞くと、3人くらいの人が「次だよ」「次!」と教えてくれて、バスが止まる直前にもう一度「ほら、一寨よ!」と教えてくれた。うーん、やっぱり私達、右も左も分からない田舎者に見られているらしい。(^^; バスを降りて店を探すと正面にあった。店は家族連れやグループ客でにぎわっていて、私達の前に15組ほど待っていた。待っている間、豆乳やカボチャの種を自由に食べてよいので、椅子に座って豆乳を飲みながら待つことにした。待つこと1時間。ようやく私達の番が来た。小さい席に案内され、火鍋と調味料、その他の肉や野菜を注文する。あっちのテーブルにはすっかり酔っぱらった女の子5人のグループ(ビールの空き瓶が10本以上あった)、こっちのテーブルには退屈した子供を好き放題に遊ばせて周囲に迷惑をかけている家族、そっちのテーブルにはそれぞれが別のことをいて全く会話のない家族……と、いろいろな事情を学ばせていただいた。私達はといえば、テーブルに食べきれないほどの皿を並べ、周囲の客の目をまん丸にさせていた。アヒルの肉をベースにした火鍋はヒーヒー言うほど辛く、でも日本では絶対に食べられないおいしさで、私もエンちゃんも満腹になった。とくにアヒルの肉は、1羽分まるまる入っていて、それが箸でくずれるほど軟らかく煮込まれている。このスープでしゃぶしゃぶしたサツマイモや香菜はおいしいに決まってる。なので、これ以上書かないけど、値段はわずか142元(約1846円)でした。 帰り道、糖葫蘆(タンフゥルゥ)を買った。これはサンザシの実を串に刺して飴がけにしたもの。ホテルに帰ってからお風呂あがりに1本ずつ食べた。実は私、初めて食べたけど、かなり気に入った。ちょっと酸っぱいサンザシと甘い飴。幼い頃に食べたリンゴ飴のような感覚。ついでにエンちゃんの糖葫蘆にまつわる思い出話も聞いたりして。 こうして夜は更けていき、1時頃に寝た。 (旅行中につけていた日記に加筆・修正したものです。なお、タイトルの「茶芸多才」は“多芸多才”をもじったものです) |
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◆ 12月20日(土) 図窮国見 今日はいよいよ秦の兵馬俑坑へ行く。ここは市街からちょっと離れているので、早めの出発となった。朝はホテルの近くで肉挟 [食莫]を買い、半分ずつ食べた。ホテルに戻り、レストランでジュースだけ飲んで集合場所へ向かう。時間ギリギリにバスに乗り、すでに「ギリギリガールの二人」という認識が、参加者の中には出来上がっているようだ。とりあえず、8時に出発し、東郊外にある兵馬俑坑に向かった。ここではまず、陳列館で銅の車馬を見学する。1/2に縮小された馬車と馬、そして人の姿は精巧で、当時の技術の高さがうかがえる。しかも、大きさが小さいだけで、実際のものと全く同じ構造の銅車馬は、実際に動かすことのできる完璧な実用品でもあるのだ。こんなものを大真面目に作らせた始皇帝とはどんな人間だったのだろうか。 続いて、現在発掘作業が進められている2号坑を参観。ここは、内部保護のため撮影禁止。でも、その分じっくりと見ることができた。手前はすでに、降り積もった土砂を取り除いた兵馬俑が散らばっていて、奥の方は兵馬俑を覆っていた丸木の屋根がその形のままで残っている。これからこれら全てを発掘し、全てにナンバーを振り、最終的には全てを元の形に復元して、もとあった場所へと安置し直すのだ。まだまだ5年はかかるという。ならば5年後にまた来てみなければなるまい。 次は最大の兵馬俑坑である1号坑を訪れる。一歩中に入れば、そこには兵馬俑がずらりと奥まで並んでいる。その面積の広さと壮大さは、当時の始皇帝の権力がどれほど大きかったかをはっきりと示している。兵馬俑は実際の人間や馬よりも若干大きく作られていて、兵のお腹もでっぷりと貫禄がついている。その顔もさまざまで一つとして同じものはなく、それぞれの頭部を見ればどんな民族の出身者かが分かる。しかし、何を考えてこんな空恐ろしいものを作らせたのだろう。作業に携わった労働者たちのことを思うと、クラクラしてくる。 最後は一番小さい3号坑へ。ここは司令室を模した構造となっていて、他の坑とは様相が異なっている。しかしながら、これ以上の発掘は無理ということで、兵馬俑が散らばったままで保存されている。 当然そのあとはお土産タイム。ここの目玉は、兵馬俑のカタログを買うと、この場所を発見した楊さんのサインが付いてくるというものだ。カタログは150元、これを持って横に座っている楊さんのところへ行くと、もう70歳になった彼がサラサラと墨でサインをしてくれるのだ。彼は地元の農民で、井戸を掘ろうとしたところ、何かのかけらを発見した。「もしやこれはこの地に伝わる始皇帝の墓の伝説のアレでは?」と気付いた彼が政府に申し出、そこから兵馬俑坑が発見されたというのだ。その楊さんは毎日ここでサインを書きつづけている。非常に微妙な存在である。もちろん私はサインはもらわなかったけど。 兵馬俑坑を後にしてバスに戻る途中、お土産売りがしつこく追いかけてきた。私達は後ろの方を歩いていたが、もうすぐそこがバス、というところで気のいいおじさん(この人は全体的にいつもボンヤリした感じの人だ)がとうとうカモになってしまった。エンちゃんが、売りつけてきた若い兄ちゃんと激しく言葉を戦わせているところに私も戻り、兄ちゃんの腕をつかんで「ついて来い」と引っ張った。最終的にはモノを引っ手繰るようにして(すでに金は払ってあった)奪い、バスへと戻った。すでにギリギリガールの私達、「また最後になっちゃった〜、すみませ〜ん」と言いながら戻ると、みんなはあたたかい目で見てくれた。すでに私達は添乗員(トラブル処理班)となったようである。カモになったおじさんは席に戻ると奥さんに「あなたがそんなもの買うからいけないのよ!」と怒られていた。まあ、私も同感ではあったが。 続いて近くにある華清池へ。ここは玄宗皇帝と楊貴妃のお風呂がある。つまり、温泉地なのだ。皇帝と楊貴妃のそれぞれのお風呂を見学し、ついでに5角払って、温泉の湯に手を浸す。ほんのり温かい43度のお湯は気持ちよかった。これで楊貴妃のような肌になれるのなら儲けものである。すでに添乗員となった我々は、他のツアー客から歴史や文物についてさまざまな質問を受ける。そんなこと、私達だってわかんないってば。(^^; 中には「西安には毎年どのくらいの観光客が来るんですか?」と勘違いも甚だしい質問をしてくるおじさんもいたが、奥さんに「そんなこと、地元の方じゃないんだからわからないわよ」とたしなめられていた。当然である。 そして遠くに秦の始皇帝陵を望みながら市街へ戻り、万年飯店で麺料理の昼食。このツアー、麺料理なら麺だけ、包子食べ放題なら包子だけ出るのかと思ったらそうではなく、コース料理の1つとして出るのだ。ここの名物「油撥麺」はなかなかおいしくて、あっという間に器は空っぽに。でもさあ、また麻婆豆腐が出ちゃってる。1日目の夜、2日目の昼と夜(私達は夜はパスした)、3日目の昼にそれぞれ麻婆豆腐が出るのはやりすぎである。全部違うホテルのレストランなので、日本人向けということでどこも麻婆豆腐をメニューに入れたらしい。みんなは麻婆豆腐に飽き飽きしていた。 さて、昼食後はまたまたお買い物タ〜イム! どうせ私は買えやしないので、ぶらぶらと骨董品や翡翠を見てまわるだけだったけど。 その後、西安碑林博物館を見学する。ここには、話にしか聞いたことのない「石経」があるのだ。石経というのは、唐の時代の一番正式な経書で、紙や木ではなく、石に彫られたものなのだ。石に彫ることで火災による焼失や改ざんを防ぐことができる。学生の頃、その話を聞いて「いつかそれを見ることができるのだろうか」と漠然と思いを馳せていたが、今日実際にそれを目の当たりにした。石に一字一字丁寧に彫られた十三経。論語、孟子、毛詩(詩經)、周易(易經)、周禮、儀禮、禮記、尚書、春秋左氏傳、春秋公羊傳、春秋穀梁傳、爾雅、孝經の文字を一つずつたどっていくと、大学やその後に勉強したことが何となく思い出されくる。さすがに昔専門で勉強していただけあって、文章の一部を見ると、それが何の経書なのかパッと思い浮かぶ。非常に渋いが、これが私の青春の一つであったのだ。もっと一つずつゆっくりと見たかったが、すでに時間がない。いつだってギリギリガールの私達。私が目をウルウルさせながら青春と対話している間、エンちゃんは拓本を値切って購入していた。 碑林の見学を終えると、その横にある古文化街の散策。ここでは怪しげな骨董品や、ガラクタを沢山扱っている。ちょっとした土産物なども露店に並んでいるので、ここなら貧乏な私にも手が出る値段である。ここで私はこの地方に伝わる楽器(卵形の笛)を購入。1時間ほど通りをブラブラし、ついでに焼きいもと糖葫蘆を買って、歩きながら食べた。 そして夜は西安名物の餃子宴である。老舗の徳発長の門をくぐり、いよいよ餃子尽くしの夕食が始まった。アヒルの形のアヒル餃子、白菜の形の野菜餃子、エビの形のエビ餃子……15種類を超える餃子の数々に、ため息が漏れる。「うわぁ、かわいい〜!」「魚の形になってる〜〜〜っ」「きゃぁ〜、ホントにクルミの形をしてるよ〜♪」などと大騒ぎの私達と、それを冷静に見つめる人々。それでも、私達が料理やそれぞれの餃子について説明をしていたせいか、私達のテーブルは全て完食。隣りのテーブルは大量に残った餃子をもてあましており、それが我々のテーブルにも回ってきた。私もこれを片付けるお手伝いをして(15個以上食べた)、いよいよ最後の真珠餃子スープの登場である。小さな餃子の入ったスープを無造作に取りわける店員。店員によれば、「餃子が1個入っていたらいいことがあります。2個入っていたらもっといいことがあります。3個入っていたら何もかもがうまく行き、4個入っていたらお金持ちになれます。でも、1個も入っていなかったら、もう一度餃子を食べに来てくださいね」ということだった。私のお椀には1個、そしてエンちゃんのお椀には、なんと3個も入っていた。 食事が終わると、店の横の通りの夜市(屋台)を簡単に散策し、バスへと戻った。相変わらず最後となってしまった私達は、またまた糖葫蘆を手に持っていたので、バスのみんなから「また食べてる〜〜〜」と言われてしまった。一旦ホテルに戻り、解散したあと、私達はガイドの金さんと一緒に足底マッサージへと出かけた。西安賓館の夏宮というマッサージ店で、ツアー客は160元なのだけれど、金さんの友人ということで一人50元にしてもらえた。ここでマッサージを受けながらも金さんは、ツアー客から預かったパスポートと航空券を確認したりして仕事をしていた。本当にお疲れ様である。今回の旅は本当に金さんにお世話になった。普通、ツアーガイドというと、土産物屋とグルになって客をだましたり、自分の与えられた仕事だけしてあとは知らん顔しているものだが、金さんは実に親身になって単なるガイド以上の働きをしてくれた。本当に彼女には感謝である。 ホテルに戻り、スーツケースに荷物を詰めたりしているうちに、あっという間に1時半。では、おやすみ。 (旅行中につけていた日記に加筆・修正したものです。なお、タイトルの「図窮国見」は“図窮匕見=秦王刺殺の命を帯びた荊軻が地図を広げると匕首が現れた、つまり最終段階で真相がわかるという意味”をもじったものです) |
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◆ 12月21日(日) 四面秦歌 起きたら7時半だった! 慌ててスーツケースにパジャマを詰めていると8時になり、ポーターがスーツケースを取りに来た。うひゃあ、もうそんな時間? 慌ててスーツケースを渡し、私達は朝食を食べに出た。今日は最終日。糊辣湯を食べるのだ。野菜や肉団子の入ったスープに、焼きパンのようなものをちぎって入れる。これをズルズルと啜って食べるのだ。エンちゃんと二人で1椀を食べた。その後、買い物をしながらブラブラし、私は2日目の朝に食べた油肉餅(そう、これは“油肉餅”という名前だったのです)をまたまた購入。あっという間に9時を過ぎ、9時半の集合時間が近づいたので、私は一足先にホテルへ、エンちゃんは郵便局へ行った。 続いて、西安最後の観光、城壁散策をした。まずは南門を上り、市街の南側から四方を眺める。みんなは城壁を車に乗って移動すると言うので、私達は一足先に南門を出発した。そう、これから西門まで歩いて行こうというのだ。城壁は市街の周囲13kmを廻っている。その1/4を歩こうというツワモノ(全然ツワモノじゃないけど)は、私とエンちゃんしかいなかったのだ。みんなが買い物や休憩をしている間に出発したというのに、南側の城壁を半分くらい来たところで、車に追い越されてしまった。悔しい! あんまり悔しいので、とりあえずその辺にあったトイレに入り、「うーん、こんなこと、歩かなきゃできないよねー」と負け惜しみを言ってみた。結局45分ほど歩き、ようやく西門に到着。みんなはシルク絨緞の土産物屋で待っていた。私達が入っていくと拍手で迎えられ、「いや〜、若いですね」と言われたが、そりゃあ年配の夫婦に比べたら赤子同然である。「時間はどのくらいかかりましたか?」と聞かれたので45分と答えると、「ほほう、じゃあ1周すると3時間かかるわけですね」などと当たり前のことを言われ、苦笑。お茶を飲んで休憩してから、城壁を下りることになった。でも、負け惜しみではなく、歩いてよかった。城壁の中と外。それをじっくりと観察しながら街の様子を見ることができて、本当によかった。 空港まではバスで50分。道が混んでなくてよかった。空港の真ん前にある航空酒店で昼食を食べた。そしてやっぱりここでも麻婆豆腐が登場。うーむ、これじゃあ中国人は毎日麻婆豆腐を食べるって誤解されちゃうよね。たまには違う豆腐料理が出ればよかったのになあ。でも、昨夜、金さんに「結構脂っこいものが多くて、食の進まない人も多いから、野菜料理を多めにした方がいいのでは?」とアドバイスしておいたので、メニューには青菜炒めや、セロリ、キュウリの皿が並び、評判は上々だった。 食事が終わると空港に行き、金さんが全員分の航空券を搭乗券に替えてきてくれた。次は全員揃って、健康審査。これはエンちゃんがまとめて全員分の書類を管理し、一人ずつゲートをくぐっていった。私も最後にゲートをくぐり、スーツケースの預かりへと進んだところで、大変な騒ぎになっていた。何をどうしていいものやらわからなくなった烏合の衆が、右往左往していたのだ。ここでもエンちゃんが添乗員として大活躍。なんとか全員が無事にセキュリティチェックと手荷物検査を通過し、飛行機への搭乗を待った。私達が出国するとすぐに搭乗が始まったので、土産物を見る余裕は全く無し。すぐに飛行機に乗って、ほっと一息ついた。 飛行機は定刻の15時半に離陸し、順調なフライトを続けている。そして、中国時間の14時に昼ごはんを食べたというのに、日本時間の17時(中国時間では16時)にもう、機内食が出てきた。そんなにすぐには食べられないって。(^^; それでも、出てきた機内食の半分に手をつけながら、この4日間のことを振り返った。行く前の天気情報ではマイナス17度という気温を見てビックリしたものの、実際にはそれほど寒くなくて、過ごしやすかった。しかも、天気は珍しく、晴れ。最終日の今日、若干曇っていたものの、それ以外は本当にお天気がよかった。風もほとんどなく、そのせいで寒さを感じなかったのかもしれない。ただ、空気が乾燥していて、喉がガラガラ。ずっとのど飴をなめて過ごした。いつもは一人であちこちフラフラ歩き回っているけど、今回はツアーということで、どこへ行くにもバスが連れて行ってくれるので、本当に楽だった。ただ、自分の見たいところをゆっくり回ることができなかったのが残念。ぜひもう1度西安に来て、じっくりと石碑を見たり、博物館を歩いたり、今回食べられなかった「羊肉泡[食莫]」を食べたりしたい。お土産も、もっといろいろ見てみたいし、街の中も歩き回ってみたい。数年後、兵馬俑坑の2号坑の発掘が完了した頃に、もう一度訪れてみたいものだ。 ふと、飛行機の窓を覗くと、眼下にはどこかの街の灯りが輝いている。北京か天津か……いずれにしろ大都市であろうが、すでに真っ暗な闇に包まれた窓外は判別が不可能である。今回の旅、格安のツアーということでかなり不安だったが、実際には楽しい旅であった。本当によかった。 日本へは定刻より若干早く着き、他のツアー客と別れの挨拶を交わし、家路へとついた。添乗員と化していたエンちゃん、ご苦労さま。 (旅行中につけていた日記に加筆・修正したものです。なお、タイトルの「四面秦歌」は“四面楚歌=周りが敵に囲まれていて孤立無援の状態”をもじったものです) |
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◆ 12月24日(水) ポトフ メリークリスマス! |
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◆ 12月25日(木) カレーライス 今月の日記は思いのほかボリュームが出てしまいました。スミマセン。 |
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◆ 12月27日(土) 帽子を編もう! 本当は、西安に行く前に帽子を編んで、それを持っていくつもりだった。だけど、そんなヒマは全然なかったので、とりあえずダヤンにかぶせていた帽子を借りて(?)持っていった。 |
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◆ 12月28日(日) 思いがけず…… 新宿をブラブラしていたら、「ただいま、コモモが来店しております!」との声。そういえば、今日は新宿のタイトー・ステーション(モモちゃん本舗と私は呼んでいる)にコモ太が来る日だったっけ。とりあえずコモ太のそばに寄り、早速、ケータイで写真を撮る。すると、店のオニイチャンが、「写メ(写メール)と撮ってくれた方にはコモモのキーホルダーをプレゼントしております!」と張り切っている。当然私もキーホルダーをゲット。思いもかけず、ポストペットハウスで配られているのと同じキーホルダーをもらえて、とってもラッキーでした。 |
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◆ 12月29日(月) 匠味バーガーを食べよう! いつだったか、某サイトで知ったのが、モスの「匠味(たくみ)バーガー」。これは、客足の途絶える時間帯に、専門の調理人が、厳選された材料で、1個1個丁寧に作ってくれるというハンバーガーで、時間帯と数量を限定したレアな逸品なのだ。店舗によって時間帯は異なり、またこのバーガーを販売している店舗も限られているのだ。そして、なんとこれが1個580円(匠味チーズバーガーは640円)という値段設定。たかがハンバーガーにこんな値段がついてよいものか? しかし、その味は秀逸だと聞く。マクドナルド・ダイニング(ってもうないの?)など言うまでもなく、ロッテリアの対抗メニューをはるか後方に引き離す味なのだという。それならばぜひ試さねばなるまい。 |
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◆ 12月31日(水) 大晦日 いよいよ2003年も今日で終り。「だから何?」っていつも思うんだけど、それでも気持ちが改まるものです。お昼は近所のガストで食べながら、新聞のスクラップ。今年もいろいろありました。そして、夜はPPF(PostPet Funfactory)のモモちゃんのお椀で年越しそば。本当は蕎麦は食べないつもりだったんだけど、せっかくゲームセンターでそば椀を取ったから、使わないともったいないもんね。(^ _-)=☆さて、明日から2004年。来年はどんな年になるのかな。。。 |
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