ちねちゃんのデジタル絵日記
◆ 8月1日(金) PostPet V3が…… PostPet V3でコモモを飼いはじめて134日になる。コモモの名前はぷーぷー。でも、最近コモモの動きが鈍い。滑らかに動かないのだ。HDDのエラーチェックや最適化をしたけど、改善しない。現在Open GL版を使っているので、Direct X版で動かしてみることにした。そして、これが間違いの元だった。Direct 3Dにチェックをつけた途端、PostPetが起動しなくなってしまったのだ! 何度やってもダメなので、ソフトを再インストールすることにした。とりあえずフォルダごと違うところにコピーをしておいて、っと。アンインストールとインストールを何度も繰り返したのに、全然復帰しない。仕方がないので新しいペットでやり直そうとしたら、起動はしたものの、メールフォルダが開けなかったり、宝箱が開けなかったり、アクセサリでオシャレすることができなかったり。そして何よりも、どうしたことか新しいペット(今まで同様にコモモを選択し、ぷーぷーと名付けた)に愛着がわかないのだ。私のぷーぷーは、あのぷーぷーだけなのである。そこで、思い切ってバックアップファイルからの復帰を試みた。前回取ったバックアップは4月。ぷーぷーのステータスは3ヶ月前のものに戻ってしまったが、とりあえず起動はしてくれた。動きは相変わらず重いけど、私のかわいいぷーぷーはこの子だけである。 |
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◆ 8月3日(日) 花火 2ヶ所で上げられている花火が同時に見られる場所がある。そんな秘密の場所で懸命に写真を撮りました。 |
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◆ 8月4日(月) シャボテン公園 シャボテン公園には動物がいっぱい。中でもワラビーの放し飼いは充実度満点。 |
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◆ 8月5日(火) 旅行の準備 旅行の準備ということで、スーツケースを引っ張り出したり、持っていくものを詰めてみたり。ついでにお金をおろしに行き、新宿でランチカレーバイキングを食べました。 |
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◆ 8月7日(木) コモモ七変化 先日、ダヤンのお店で8月上旬発売の七分袖のTシャツを見かけた。そのときは手持ちのお金が少なかったので取り置きしてもらっていた。それを引き取りに今日は新宿まで出かけてきた。ついでに新宿南口のゲームセンターを覗くと、PostPetの新しいプライズが登場していた。とりあえずコモモをゲット。大きさ30cmという大物である。 |
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◆ 8月8日(金) お散歩 今日は勉強会だったのであまり歩かなかった。そういえば最近あんまり歩いてないなあ。 |
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◆ 8月9日(土) 大繁殖 いよいよ中国行きが明後日に迫っている。そこで、この台風10号の真っ只中、我が家のネズミちゃんと預かりもののナォナォを預けに行ってきた。幸い電車が止まることもなく(遅れただけだった)、無事に2匹のネズミちゃんを預けに行くと、くるみはふてぶてしくも、すっかり我が物顔で歩き回っていた。(申し訳ない。 m(_ _)m>Mさん)さて。帰りに新宿によると台風の影響でまだまだ大雨。雨やどりがてら、ゲームセンターで時間を潰すことにした。ついでに夕ご飯も新宿で食べ、大漁の収穫(SLHQコモモ×2、SLHQモモ×3、NOVAうさぎBIG×1、ミニジョッキ×3)に満足いたしました。 |
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8月11日(月) 大連上陸 天気は晴れ。今日から中国旅行だ! 飛行機の出発が10:35なので、朝5時に起き、5:35に家を出た。空港には8時前に着き、いつものようにカフェ・クロワッサンで朝ごはんを食べた。さすがお盆休み。空港は人で溢れかえっていた。 10:10に搭乗開始、10時半には飛行機が動き出し、45分には離陸した。ここまで全て順調。私の出発を祝うかのように順調そのものである。 しかし。私の順風満帆な旅は、私の前に座ったカップルのせいで早くも雲行きがあやしくなりかけていた。そのカップルは禿げたオヤジ(←日本人)と若くて美しい女性(←中国人)だった。飛行機の中だというのにいちゃつくわ、チュウをするわ…… 挙句の果てはシートを(私の方へ)ガタンと倒して、二人で抱き合ってうっとりしている。コラコラ、そこ、離れて! それ以上接近したら非常口から放り出してやるからなっ だから耳にチュウするのはやめなさいってば! まあ、そんなことも乗り越えて、中国時間の12:29(日本時間は13:29)、大連周水子空港に到着した。折りからのSARS(中国語では“非典”)の影響で、健康申告カードの様式が変わったり、入国時の手続きが増えたり(温度センサーに手をかざす)と、面倒ではあったが、無事に入国。30分後にはタクシーを拾ってホテルに向かっていた。 ホテルは南山賓館。入ってみてびっくり。私は1人だというのに、ベッドはキングサイズ。でか〜〜〜っ こんなベッドで二晩も寝られるなんて幸せだ! とりあえず荷物をほどき、3万円ほどエクスチェンジして街に出た。中山広場に行こうと思ってテクテク歩いていたら……どうやら私は反対の方向に歩いていたらしい。地図にもない公園にたどり着き、そのあたりにあるバスの案内から正しい方角を割り出し、何とか二八広場にたどり着いた。そこから今度は三八広場を通り抜けて中山広場へ。でも、残念だったのは路面電車が走ってなかったこと。これに乗りたかったのになー 路面電車で街の中を走りたかったのになー その途中で地図を買い、お腹がへったので肉まん(1元で手のひらサイズ!)を買って食べ、KFCでコーラを飲みながら地図とガイドブックとにらめっこした。どうやら私が行くべき場所は、ここから南西の方にあるらしい。またまたテクテク歩いて、太平洋百貨とマイカル大連商場の前にたどり着いた。今日の目標は「大連の土地感をつかむこと」。そのためには、自分の足で歩かないと、距離や位置関係が実感できないのだ。街並みや人の流れを眺めながらブラブラ歩いて雰囲気を味わう。ちょうど駅の南側に位置していて、このあたりが一番にぎやかな場所になっているらしい。 そのうちに6時になり、お腹もへったので、近くの小さな通りに出ていた羊肉串や餃子を食べて夕ごはんにした。久しぶりのサバ餃子。おいしかったわ〜 タクシーを拾ってホテルに帰ったら、今度はホテルのそばの足底マッサージへ。70分で38元だというので、早速やってもらうことにした。足をお湯につけている間に肩や腰を揉んでくれて気持ち良かった〜 足の裏もグイグイ揉みほぐしてもらい、「水分をたくさん取りなさい」というオーナーの言葉に従って、その場でお茶を5〜6杯飲んだ。このオーナーのおじさん、おしゃべり好きで、あれこれ話しかけてくる。「お菓子もタダだからいっぱい食べて」というので、早速パクパク食べる。足の裏を揉んでもらったせいか、お腹がすいちゃって、しかたないのだ。結局、このおじさんの話に1時間以上つきあい、その後ホテルに帰ってきた。 ホテルに帰れば待っているのは冷やしておいたビール。これを飲みながら中国上陸を1人こっそりと祝うのであった。 本日の歩数は21943歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月12日(火) 旅順観光 今日も晴れ。昨日空港からホテルまで乗せてもらったタクシーの運転手さんと、朝8時にホテルの入り口で待ち合わせている。1日400元で貸切できるというし、運転手さんは悪い人ではなさそうだったので、今日の観光の運転をお願いすることにしたのだ。 6時半に起きてホテルの周りを散策。どこかで朝食を調達しなければならない。すぐそばにコンビニがあったので、そこを最終手段として、とりあえず簡単にモノが食べられる場所を探す。すると、向こうの方から野菜や果物をぶらさげた人が歩いてくる。どうやら同じ方向から歩いてくるようだ。そっちの方に朝市があるのではないかと判断し、人々の流れとは反対に歩いて行った。だんだん荷物持ち歩き人間の含有率が増えてきたので、かなり自信を持って歩いて行くと、果たしてそこには巨大な朝市が広がっていた。目の前には桃、梨、李、キュウリ、スイカ、豆、香辛料、パン、クッキー……とにかくいろいろなものが並んでいる。その中でおいしそうなものを見つけた。それは“燻肉大餅”。瀋陽の名物だという。見た目は厚めのトルティーヤで、これに肉や野菜をくるんで食べるらしい。早速1元で肉無しのものを手に入れた。まずは一口。ウ、ウマイ〜〜〜ッ! これ、明日も食べに来ようっと。あとはお昼用にパンと桃を買い、ジュースも買っておいた。 さて。8時になり、ホテルから出てみると、昨日のタクシーが待っていた。最初に言われたのは「僕の言うことは必ず守るように」ということだった。旅順には軍港があるので、外国人の立ち入りは厳しく制限されている。そのため、開放されている場所が少なく、許可無くフラフラ歩いていると逮捕されてしまうのだ。なので、あまり事情をよく知らない人は個人で行くよりも現地の旅行社主催のツアーに参加するのが手っ取り早い。私は面倒だったからタクシーを雇い、個人で行っちゃったけど。 さて、まずは旅順。運ちゃんが道端で水を買ったついでに私を指差し、「あの子はどこの人に見えるか?」と聞くと、誰しも一様に「日本人には見えない」と言う。「失敬な!」と思ったけど、どうやら私は東南アジア系の顔だと言われつづけているので、これも仕方ない。ついでに言うと、車の中で仕事や家族、給料などに聞かれたが、そのとき年齢も聞かれた。「23歳?」と聞くので、「もっと上」と言うと、「じゃあ、26歳?」と言う。「34だよ」と言うと、「えー! そうは見えない。それじゃあ僕と一緒じゃないかー!」と驚いていた。そう言えば、昨日の足底マッサージのオーナーも私のことを「25歳?」と言ってたし。うん。まだまだ25〜26歳でイケルかもしれん。 さて。水師営に着き、お金を払って中に入ると、そこにはアヤシイ日本語をあやつる元気な老人がいた。話によると、彼はものすごーく前からここにいて、ここに来る日本人全員に日本語で説明をしてあげているらしい。私もこのジイサンのおかげで水師営がいかなるものかを知り、なかなかありがたかったのである。 次に203高地。ここには乃木希典の息子も眠ると言う、あの場所だ。山道を登り、記念碑のある場所までたどりつく。ここにはたくさんの犠牲者たちの霊が眠っているのだという。異国の地で命を落とした若者たちにしばし黙祷。 山を降りてくると、そろそろお昼だ。運ちゃんが「お昼はどうする?」と言うので、パンを持ってきたと言うと、「折角だから海鮮を食べなさい。大連より旅順の方が安いから」と言う。「ウニはお肌にいいし、アワビも体にいいよ」と言うので、じゃあ連れてって、ということになった。海辺のそれらしき店でやわらか〜いアワビと生のウニ、それにエビの茹でたのを食べて220元。高いんだか安いんだかよくわからなかったけど、味はよかったのでいいとしよう。面白かったのは、エビのつけダレも、ウニのタレも全部酢が使ってあったこと。この辺の人たちって酢をよく食べるんですね。 そして大連の中心部に戻り、星海広場と森林動物園へ。動物園では時間がなくてパンダが見られなかったのが残念。運ちゃんに「パンダ、見られなかったよ」と言うと、「それじゃあ、動物園に入る前に清算して、あとは自由に見ても回ってもらった方がよかったね。ごめんね」と言われた。うん。そうだったかも。でも、パンダはまた今度来たときにゆっくり見るよ。1つくらいやり残したことが残ってなきゃつまらないよ。 そしてホテルまで送り届けてもらい、ちょっと休んでからまた出かけた。行き先は労働公園。近くにあるテレビ塔を眺めながら、しばしのんびりする。実は4年前に大連に来たとき、私は脱水症になり、下痢と吐き気が止まらずにひどく苦しんだのだった。そのときは日本も中国も記録的な暑さで、水分補給と休養が不充分だったせいで脱水に陥ったというわけなのだ。そのことがあったので、今回はできるだけ頻繁に休み、ついでに水分も常に摂り続けた。道端でしゃがみこんで休んだり、常に持ち歩いているペットボトルから水を飲んだり。労働公園でもコポコポと音を立てるように水を摂取しつづけた。おかげで体調は問題なかったけど。 そして、昨日と同じ通りで羊肉串や燻肉大餅、ゆでトウモロコシを買い、これをかじりながらホテルまで歩いて戻ってきた。今日は10時くらいに寝ちゃおう。 本日の歩数は24295歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月13日(水) 熊岳城へ 昨夜は10時に寝ようと思っていたら、9時半くらいからもう眠くて眠くて…… そのまま引きずり込まれるように寝てしまった。そして夜中の電話で起こされた。時計を見ると11時半。「こんな時間に誰?」と思ったらエンちゃんで、今日の出迎えの時間を変更するという連絡だった。エンちゃんなりに、私が大連でゆっくりできるように気を遣ってくれたらしい。 朝、起きたら7時。もちろん快晴。すぐに身支度をして昨日の朝市に出かけた。その途中で、昨日見かけた犬のトゥルトゥルちゃんがいたので、しばし遊んでしまった。朝市では餡儿餅と燻肉大餅を食べた。やっぱりウマ〜〜〜イ! 今日はエンちゃんの家の近くまで移動しなければならないので、9時頃にホテルをチェックアウト。そのまま大きな荷物をホテルに預け、リュック一つで街に出かけた。のんびり歩いていると、正面のタクシーがクラクションを鳴らす。何かと思って目を凝らすと、そこには昨日のタクシーの運ちゃんが! 大連ってせまい街なのね〜 ちょっとうれしくなったりして、そのまま元気に街を歩きつづける。中山広場まで行ったところで、北上。すると勝利橋を渡ったところ辺りに、ロシアのものを売っている露店が並んでいた。これは面白そうだと思い、そのまま店をのぞきながら歩いて行くと、ハムスターを扱っている店があった。欲しいなあ。でも、連れて帰れないしなー 涙を飲んで写真だけ撮らせてもらって、その場を離れる。ロシアの切手やお金、マトリョーシカ等、いろいろなものが並んでいるので飽きない。でも、私にはまだまだ「移動」がある。ここで買い物をするわけにはいかないのだ。 そのまま、足の向くまま気の向くまま、市場に行ってみたり、小さな通りを歩いてみたり。かなり寄り道をして目的地の大連駅にたどり着いた。4年前はここから鈍行列車に乗ってエンちゃんの家まで行った。あの頃と変わっているだろうか、と思いながら歩いていたが、観光バスや長距離バスの客引きが増えたのが大きな違いかもしれない。 その後、いつものマイカルに行ってCDやVCDを買い、隣のデパートに入っているマックで念願のハンバーガーを食べる。何を隠そう、実は私、中国のマックでハンバーガーを食べるのは初めてなのだ。今までは中国に行っても、普通に現地の食堂に行って食べていたので、ファーストフードを食べたことがない。でも、ぜひ一度は経験してみたいということで、今回はここでお昼を食べることにしたのだ。食べたのは中国限定の“麦辣鶏腿ハンバーガー”。ちなみに“麦”というのはマックのことである。トウバンジャンのきいたピリ辛の鶏唐揚げがレタスとともにバーガーバンズにはさんである。これが意外においしくて、日本のマックにもぜひ真似して欲しいメニューだった。これにポテトとコーラのM(←涙が出るほどでかい)がついたセットが17.5元。これは食事としてはかなり高いが、若者たちでけっこうにぎわっていて、高校生くらいの男の子が携帯電話で声高に話しているのを見て「うーむ。大連もこうなっちゃったのか」とびっくりした。 マックから出ると、横に Sony Digital Dream Works があったので、ここでインターネットを体験。係のお兄さんに「もうちょっと使ってていい?」と聞くとOKが出たので、早速両親にメールを送った。ありがとう。>SONY<これからも私はアナタの味方です。次にパソコンを買うときもSONYを買わせていただきます。 歩いてホテルに戻り、荷物を受け取り、タクシーで空港へ。空港で13:50に待ち合わせなのだ。タクシーの運転手さんに「国内線入口? 国際線入口?」と聞かれたので、「国内線」と答えると、国内線出発ロビーの入口に連れて行ってくれた。でも実は、国内線も国際線もたいした違いはなく、カウンターは隣り合っているのである。中に入れば皆一緒。しかも私は国内線の「到着ロビー」で待ち合わせしていたのであった。まだまだ時間があったので、とりあえずコーヒーを1杯飲み、待ち合わせ場所に降りて行った。 すぐにエンちゃんのパパが気付いてくれて、久々の再会。元気そうで安心しました。そしてみんなそろったところで車に乗りこみ、いよいよエンちゃんの家に向けて出発した。途中、ベンツを追い越したり、サイレンを鳴らしたり、いろいろなお遊びをしていたが、まあそれも長い道中の余興と思って差し支えない。 家に着いたのは6時前。まずは私が泊まるホテルに連れて行ってもらい、チェックイン。窮屈な服を脱ぎ、ラクなワンピースに着替えてから、エンちゃんとともに、今夜の夕食会場へと向かった。今日は方々から集まった人たちが40人という大宴会だ。私はエンちゃんの友達と同じテーブルに座ることになり、4年前にお世話になった黄さんや劉さんと再会し、大騒ぎした。食事は豪華で、あれこれ食べながら、みんなの話題は「○○さんは太った」「○○さんは痩せた」に終始する。やっぱりみんな女の子なんだね。 8時半にホテルに戻り、まずは明日の準備。お風呂に入ってから、今度は帯を締める練習。実は最近この練習を怠っていたのだ。浴衣を着る練習に至っては……全くしていない。とりあえず帯を結んで感覚を取り戻す。うん。大丈夫。帯はなんとかなりそうです。あとは浴衣だな。がんばりまーす! 本日の歩数は18440歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月14日(木) 旅行最大のイベント 今日も天気は快晴です。こんなに暑くていいかしら? 朝は6:30に起床。浴衣を着るために早起きしたのだ。なんとかがんばって帯も結び、結婚式に出る準備は完璧に整った。 ……でも、肝心の花嫁さんの準備がまだなのだ。本当は9時頃にロビーに降りてくるように言われていたのに、新婦のミャオちゃんはなかなか美容院から戻ってこない。「遅いねー」と話をしていたら、エンちゃんから「今日、瀋陽に出発して」という連絡をもらい、目が飛び出そうに成った。すぐに荷物をまとめていつでも出かけられるように準備しているところに、「早く新郎新婦の泊まっている部屋に来て」という連絡が! 大慌てで駆けつけると、儀式はすでに始まっているようであった。 新婦の両親や、縁の人たちと写真を撮り、そのうちに「隠してある新婦の靴を新郎が見つける」といった中国の結婚式独特のイベントが発生。その後は新婦の実家での儀式を行ったり、市内を車でパレードしたり、とにかくにぎやかな中国の結婚式がとり行われた。ただ、申し訳なかったのは、私の浴衣姿が珍しかったらしく、カメラマンが私の方ばかり撮っていたこと。ゴメンネ、脇役が目立っちゃって。 そして鳴り物入りで再びホテルに戻ってくると、挨拶がメインの結婚式が行われ、その後“交杯(花嫁と花婿が腕を絡ませて酒を飲み干す)”など、おなじみのイベントも乗り越えて(?)、ようやく宴会がスタート。ところが、中国の宴会ってスタートは一緒だけど、終わりは一斉じゃないのね。「自分はもう帰る」と思ったら自由にどんどん帰っちゃう。そういえば日本でも昔の田舎の宴会ってそういうものだったと本で読みました。ちょっと日本と中国のつながりを発見できて、面白かったです。 私は2時頃に、瀋陽まで帰るというエンちゃんの親戚とともに車に乗りこみ、再び移動することになった。いや〜、今回の旅も移動につぐ移動で、かなり強行軍となりそうです。大連から瀋陽までの高速道路が工事中で通行止めのため、とんでもない道を通りながら、一路瀋陽を目指す。ようやく高速道路に乗ったと思ったら、「あれ? 道が違うかも」と言われ、同乗している私たちはヒヤヒヤした。それでもなんとか車は瀋陽の市内に入り、順に人を降ろしたあとでようやく私の順番が来た。さて、ここでまだホテルを予約していないことが判明。大哥(エンちゃんの親戚ね)と話し合いながら、私の希望を伝える。「等級は3ッ星くらいで、1泊500元以下」が私の希望だ。観光には瀋陽北駅に近いところがいいだろうということで、その周辺から選ぶことになった。「どれにする?」と聞かれたので、「ええい、ままよ!」と駅の真ん前にある「東陽閣IT飯店」を選んだ。行ってみると、これが大正解。ビジネスシングルで1泊180元(SARSのせいで値下げしているようだ)。しかも朝食付き、マッサージ無料、散髪無料、インターネット無料なのであった。フロントの女の子は、たどたどしいながらも日本語が話せて、「それ、日本語で言ってみて」と言うと、「ウーン。チョット難カシイナ……」と言いながらも、篠原ともえ(に似ている研修生)が通訳してくれた。 とりあえず明後日の予定を大哥と約束し、私は1人でホテルに残った。そんなにお腹がへっていない気もしたけど、街の雰囲気をつかむために、夕食に出かけることにした。ホテルの周りをちょっと歩き、わりと小奇麗な食堂を見つけた。あんまり人は入ってなかったけど、味は結構よかった。明日も来ようっと。 ホテルに帰ってきたら、まずはインターネット。両親にメールを送ったり、自分宛の緊急のメールがないかチェックしていたら、後ろから「日本語を勉強してるぞ!」「日本語ができるらしい!」「キーを打つのが速いな!」という声が聞こえてきた。なので、私は振りかえり、「私は日本語を勉強してるんじゃなくて、日本人なの!」と言うと、みんながわらわらと集まってきた。以前の私なら、自分が日本人であることを隠そうとしていたに違いないが、今は「私が恥ずかしい日本人にならなきゃいいのだ」と開き直っているので、堂々と日本人であることを公言している。すると、私がメールを書いている横から、日本のことをあれこれ質問され、日本語を書きながら中国語を聞き取り、中国語を話しながら日本語でメールの本文を考えるというアヤシイ状況になってしまった。それでも、メールが使えるのはかなり便利で、両親との連絡もスムーズにできたのでさぞや安心していることだろう。 そして部屋に戻り、シャワーを浴び、夕食に行く途中で買ったブドウを食べた。このブドウの味、この野生っぽい感じが中国の味なんだな。今回はホテルにも恵まれていてよかったよかった。 今日はゆっくりして、明日ものんびり起きよう。 本日の歩数は3991歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月15日(金) 瀋陽観光 今日も晴れ。今日は終戦記念日だ。日本ではテレビで終戦関連の番組を放映していることだろう。 結局、昨夜は12時頃に寝て、今朝は6時半に起きた。なぜか目が覚めてしまうのだ。すっかり朝型人間になってしまった私。完璧に中国に染まってます。 このホテルは朝食付きなので、包子や野菜、ソーセージ、粥、コーヒーなどを食べ、郵便局までお散歩。郵便局は郵政大厦にあるのだ。行ってみたらまだオープンしていなかったので、瀋陽北駅をブラブラしてみた。地図や時刻票を買い、マックに入ってコーラを頼んだ。ちなみにポテトは5元、6元、7.5元という値段設定。私が頼んだコーラのスモールは3.5元だ。でも、スモールでも大きいんだよね。(^^; とりあえず郵便局が開くまでここで待機。 郵便局では昨夜書いた自筆のハガキを出し、ホテルに荷物をおいてから、タクシーで観光に出かけた。まずは市内の北に位置する北陵公園へ。広い割に人が少なくて、のんびりしている。ぽてぽて歩き、アイスをかじりながら、ここに葬られているホンタイジのことを考えてみた。死んでなお、自分の墓をみんなに見られるというのはどういう気分なのだろうか。お弁当を持ちこんでピクニックしている家族もいて、ここがお墓だということをすっかり忘れ去られているんじゃないだろうか、と心配になった。 次は瀋陽駅。こちらは北駅に対応して、南駅と呼ばれている。北駅が近代的なビルになっているのとは対照的に、昔風の建物で、なんとなく東京駅を思い出させる。ここは大荷物を抱えて汽車に乗ろうとしている人たちで溢れかえっていて、「うーん、やっぱり瀋陽は田舎なのね」と思った。 駅の東の方に歩いて行くと、露店や小吃店が並んでいて、歩くだけでも楽しい。おいしそうなにおいや、ちょっと怪しい雰囲気に包まれながら、「これが中国なんだよな」と懐かしさ満開。 そして再びタクシーを拾って故宮へ。ところが、タクシーの運転手は、私がいくら“故宮(Gu4 gong1)”と言ってもわかってくれない。何度か繰り返してようやく意志の疎通が図られる。そして私は運転手に“故宮Gu4 gong0”と発音を直された。さすが東北、私の標準語は通じないというわけだ。全般に、こっちの人の話す言葉は聞き取りにくく、何度か聞き返さなければ成らないこともしばしばだ。 故宮は北京の物に比べると小さいけど、それでもお互いに通じている部分や似通った部分があって、何だかうれしくなってくる。相変わらず人はそれほど多くないけど、それも瀋陽らしくてまことによい。入口に日時計があるのが珍しかった。 故宮から出てくると、日本人と中国人の男の子(大学生くらいか?)が写真を撮ろうとしてうろうろしていた。中国人の男の子が「撮ってもらおう」と言うと、日本人の男の子は「うーん、さっきのでいいよ」と言う。どうやらさっき中国人の観光客に写真を撮ってもらったものの、構図が気に入らず、もう一度撮りなおすかどうかもめているらしいのだ。で、私がおせっかいにも「撮りましょうか?」と日本語で話し掛けると、さっきまで渋っていた日本人の男の子が満面の笑みで「お願いします!」と言う。なるほどね。困ったときはお互い様、私も助けてもらうことがあるんだから、自分にできるして親切はおかないとね。 その後は中街にある老辺餃子館に行き、おいしい蒸し餃子を堪能。日本の新宿にも支店があるけど、全然違うね。味も値段も。この老辺餃子館のある中街は、北京の王府井、上海の南京東路のようで、歩行者天国になっているし、とにかくにぎやかなメインの繁華街になっているのだ。あっちの店やこっちの店を覗いて、お土産を買う店の目星をつけておいた。 お腹がふくれて元気が出たので、本日3つ目の観光スポット、「張氏帥府」へ。ここは張学良の旧居なのだ。ちょうど故宮の南にあるので一緒に訪れるには都合がよい。ここでビデオを見たり、旧居を見学したり。2001年10月15日、張学良はハワイで亡くなったという。ここでの暮らしと、その後の生活、どちらが彼にとっては幸せだったのだろうか。 本日の見学は早めに切り上げてホテルに戻り、部屋でだらだらと過ごした。昨日まで、とにかく忙しかったので、このあたりで少しのんびりしたかったのだ。そろそろ疲れがたまる頃だしね。 しかし、思うのは、北京より大連、大連より瀋陽、というように、物価が下がっていくのがよくわかる。モノの値段というのは顕著なものだ。 さて。部屋でテレビを見ていたら、日本は大雨で大変なことになっているらしい。ニューヨークやカナダの大停電も驚きだし。ああ、やっぱり私が日本にいないと大変なことになるのねー で、8時頃、また昨日の店に行き、料理を注文。「また来たー!」と言われたけど、ここ、やっぱりおいしいわ。今日はビールを飲んで28元。昨日は客が少なかったのに、今日は激コミで、どうしたことでしょう? 店員もあたふたと忙しそうにしていた。 帰ってくると今日もネット。メールを送り、日本にいる人たちとチャットして、その後部屋に戻ってきた。やっぱりメールできるっていうのは便利だね。 さて、もう11時半。ゴロゴロしまーす。 本日の歩数は23090歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月16日(土) 今回最大のトラブルとは…… 今日も朝から天気がいい。でも、空にはうっすらと雲が…… いやな気配だ。 今日は6時に目が覚め、手早く身支度して朝食に降りた。そして、朝の散歩をしようとホテルを出ると、その横には蚤の市が出ていた。そうか、今日は土曜日か。土曜、日曜にはこうして蚤の市が出る通りがいくつかあるが、まさかホテルの横の道がそれだったとは。売られているのは本当にガラクタばかりなのだけれど、見ているだけでも結構面白いものだ。壊れたものを大真面目に売ってるところなんかは、思わず笑ってしまう。 今日は8時に大哥に迎えに来てもらい、“怪坡”に行くことになっている。時間通りにロビーに降りると、大哥が待っていた。そして彼の車で怪坡へ。この怪坡というのが珍しくて、ただの坂なのだが、上りなのにエンジンをかけなくても車が進み、下りなのにアクセルを踏まないと動かないのだ。よーく見てみると「目の錯覚じゃないのかなあ?」という気がするんだけど、でも、本当のところはよくわからない。 続いて東陵へ。ここで車を下ろしてもらい、夜、ホテルに汽車の切符を届けてもらう約束をして大哥たちとわかれた。北陵はホンタイジの墓で、東陵はヌルハチの墓。1926年に造られているが、北陵の原型がすでにできているところが興味深い。全体の構造もだいたい同じで、わずかにこちらの方がコンパクトな感じがするが、一瞬自分がどちらにいるのか悩んでしまうほど似ているのだ。 今日の午後は買い物をするつもりだったので、東陵の見学は適当に切り上げ、タクシーを拾って市内に向かった。昨日の中街でCDだのVCDだのといった自分のものも買ったけど、生徒への土産のお茶などを大量に購入。そろそろ手持ちのお金も無くなったので、ホテルにいったん戻って荷物を置くことにした。そして……ここからが不運な週末の始まったのだ。 ホテルで日本円の両替を頼むと、「今日は土曜日でレートが出ないから両替できません」というのだ。え? 私は今手持ちが200元しかなくて、大哥に汽車の切符代も払わなきゃいけないのに、どーすんの? 「土日はどこに行っても外貨の両替はできません」と言う。慌てて近くの銀行にも行ってみたが、やはり両替をしてくれない。今まで私が泊まったホテルでは、土日は金曜日のレートで両替をしてくれていた。それが普通だと思っていたが、さすがに瀋陽は田舎ということか。「中国人民銀行に行ってみたらどうだろう?」と言われ、まずはとりあえず中心部にある大きな中国銀行に行ってみることにした。 タクシーで中国銀行に乗りつけると、あやしげなおっちゃんが「両替?」と言って人民元をヒラヒラさせた。キーッ 悔しい! ここで替えてもらえなかったらこのオッサンに頼まなきゃならないのか? とにかく中に入って、案内係の恰幅のいい職員に「両替したいんだけど」と言うと、やはり今日は無理だと言う。その時点で私はおそらく涙目になっていたのだろう。その職員のおじさんが「なんでそんなに慌ててるの? どのくらい欲しいの?」と言うので、切符を買わなきゃいけないのにお金がないということを切々と訴えた。すると、金曜日のレートを調べて「1万円680元でいい?」と言う。思わず首を縦に振ると、そのおじさんは自分の口座から680元引き出し、私の1万円と取り替えてくれた。私の1万円が本物かどうかも確認しないで。ただし「どうして昨日のうちに両替しておかなかったんだ?」とお説教することは忘れなかったが。 このおじさんのおかげで680元を手にすることができ、これで明日の日曜日を過ごすことが可能となった。昨日、日本人の若者に施した功徳は、すぐにこんな形で私の元に帰ってきた! ありがたいなー、と思わず涙がにじんでくる。ホテルまで歩いて帰り、夕方無事に大哥から汽車の切符を受け取り、いつものように夕ごはんを食べに行った。食事はいつものようにおいしく、こうして安心して夕ごはんが食べられるのも、全て中国銀行のあの職員のおかげだと思うと感謝でいっぱいである。夕方、大雨が振ったときも私は部屋にいたのでぬれなかったし、なんとか無事に一日を過ごせたようだ。 さて、ホテルに帰れば日課となったメール送信。そして今日もいつものように夜が更けていくのです。 本日の歩数は21195歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月17日(日) お買い物〜♪ 今日は日曜日。今日も朝から天気がよい。何も予定がないし、約束もないので、のんびりと7時過ぎまで寝ていた。朝食後、そのまま瀋陽北駅まで下見に出かけた。明日は出発が早いので、まごまごしなくても済むように、どこに何があるかを調べておくことにした。駅の中をぶらぶら歩いていると、なんとなく構造がわかってきたので、下見は終了。駅の横の公衆電話から実家に電話をかけてみた。なかなか通じなかったけど、一度つながってしまえば、そこはインターネット回線を利用した電話の利点で、かなり長時間の通話ができた。 のんびり10時頃に行動開始。中街に行った。さすが東北、タクシー運転手の発音が悪くて、なかなか私の言いたいことが伝わらない。“正陽街”と言うと“朝陽街”に連れて行かれ、“朝陽街”と言うと“正陽街”に連れて行かれる。もうちょっと標準語の練習をしておきなさいね。>タクシーの運転手たち 中街では気が狂ったかのようにお買い物。お茶やお菓子など、授業で使う生徒へのお土産を山のように購入。今日だけで5kgくらいの買い物をしたんじゃないかと思います。 買った荷物の整理をしようと思い、マックに入った。北京や上海にはスターバックスがあったので、そこが私の休憩所として使われていたが、東北にはスタバがないので、マックかKFCで休むことになる。以前の私なら「お金がもったいない」と思って休まなかっただろうが、今は多少お金を払っても自分の健康には替えられないので、できるだけ頻繁に休むことを覚えたのだ。 マックから出て、もうしばらく買い物をして、燻肉大餅を買って食べた。なんか、今回の旅はこればっかし食べてるな。その後、昨日目をつけておいた新華書店で地図を見たり、料理の本を物色。大連で買うもののあたりをつけ、ついで中国将棋を購入。だんだん荷物が重くなる…… ホテルに戻ると1時半くらいで、そのまま私は昼寝に入った。そう、気付いたら寝ていたという感じなのだ。多分疲れていたんだろう。目が覚めると4時過ぎ。6時頃に外に出かけ、ホテルの周りを散策してみた。いつもは行かない方まで足を伸ばすと、結構大きなスーパーがあった。もっと早くこの場所に気付けばよかったなあスーパーの前では子犬を売ってるおばちゃんがいて、「1匹200元。どう?」と言われた。どうと言われも買えないので、しばし犬と遊んでからスーパーに入っていった。このスーパーはかなりにぎわっていてフードコートも充実している。火鍋を食べている人もいて、私も食べたくなってしまった。そしてここでもお買い物を実行し、両手に荷物。 そして7時過ぎにいつもの店に行き、麻辣豆腐とセロリ炒めを注文。「明日帰るんだよ」と言うと、店員の小姐がビールをコップに注いでくれた。「今度瀋陽に来たら、また必ず店に来てね」と言われ、ホロリ。いつ来られるかわからないけど、きっと来るよ。 ホテルに戻り、出発のための準備をした。あとはセーフティボックスから現金とパスポート、飛行機のチケットを取り出すというところで問題は起きた。今までのホテルはフロントにセーフティボックスがあった。このホテルは部屋に備え付けの金庫で、自分で暗証番号を登録する形式になっている。昨日登録した暗証番号を入れても金庫は開かない。何度やっても開かない。どうやっても開かない。もしやと思って、間違えやすそうなキーを押してもやっぱり開かない。どんなにがんばっても自分で開けることが不可能だと悟ったので、フロントに行った(フロントに電話したが、つながらなかった)。フロントの係員に金庫が開かないことを告げると、「明日にならないと開けるのは無理」と言われた。明日の何時かと聞くと、「朝10時にマネージャーが来るので、それからじゃないとダメ」だと言う。私が朝8時の汽車に乗ることを告げると「じゃあ、無理ですね」と言う。いーや、無理じゃない。すぐにマネージャーに連絡を取れ、と言うと、「金庫にお金が入ってるのか?」と言うので、お金どころかパスポートも入っていることを告げると、大慌てでマネージャーに連絡を入れた。 そして数分後、「20分ほどでマネージャーが来るので、それまで部屋で待っていてください」ということで、私は部屋でぼんやりしていた。果たして20分後、鍵職人(?)がやってきて、複雑なロック解除コードを入力し、私の部屋の金庫はぱっくりと口をあけた。感謝しつつも、「あ、そう。そんなに簡単に開いちゃうの?」と思ったので、私はこれからはセーフティボックスは信用しないことにした。 とにかくこれで明日、大連に帰れます。よかった…… 本日の歩数は15317歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月18日(月) 買い物三昧 今日は早くから目が覚めて……というか、あまり眠れなくて、5時半の目覚ましが鳴る前に起きてしまった。窓の外を見れば、晴れ。今日も暑くなりそうだ。 手早く身支度をして朝食に降りた。今日は軽くコーヒーとお粥を少しずつお腹におさめた。というのも、なんだか昨夜からお腹の調子がよくないのだ。これは食べ過ぎとかそういうことではなくて、単純に冷房のせいだ。自分の部屋では完全に冷房を切っているが、ロビーや店の中などの共用スペースではそういうわけにはいかない。とにかく冷房に滅法弱い私は、なんとか自衛しているものの、それでも冷房にやられてしまうのだ。とりあえず、今のところは大丈夫だと思うんだけど、汽車の中でお腹の調子が悪くなると困るので、ここは一つセーブしておかなければ。 さて、部屋に戻って最終チェック。4泊したこの部屋ともお別れ。忘れ物はないようだ。6時半にチェックアウトし、駅に向かった。どっちにしても駅はホテルの真ん前。歩いたってそうたいした距離はないが、荷物があるので早めの出発を実行。 土日の災いが嘘のように、今日は朝から順調そのもの。駅に着いてみれば時間が早すぎて、まだどの待合室に入ればよいか提示されていなかった。簡単に説明しておくと、中国の汽車の乗り方は日本のそれと若干違う。駅によっては駅の入口ですでに入場制限がかかる場合もあるが、瀋陽北駅の場合、3階まではそのまま入ることができる。そしてここで荷物検査を受ける。見送りの人は入場券がないとこの先には入ることができない。そして、行き先別にいくつかの待合室があり、そこで検札を待つのだ。列車の発車30分前になると検札が始まり、何番ホームに行けばよいか指示が出る。改札は2分前には閉まってしまう。あとはホームに降りて汽車に乗るだけだが、乗るときにも切符を見せる必要があり、自分の座席の車両にしか乗りこむことができない。 とりあえず10分くらいその場で待ち、待合室が表示されたので、中に入ってぼんやりと待っていた。7時半になったので検札開始。無事に汽車にも乗りこみ、時刻表通りに汽車は走り出した。私はいつしかそのまま眠っていた。 目が覚めると10時過ぎで、ちょうど熊岳城の駅を通過するところだった。ここはエンちゃんの実家の最寄駅で、4年前はここで汽車を降り、そしてここからハルビンへと旅立った。あの頃は小さな駅で人も少なかったのに、ガラス張りの大きな駅に変わっていて時の流れを感じた。その後も一度は見たことのあるはずの場所を通るのだが、全く見覚えがなく、窓の外の景色は数年前と劇的に変わっている気がした。途中、トイレに行ってみたら洋式の便座になっていて、これまたびっくり。これも時の移り変わりということか。 5分ほど遅れて大連到着。すぐにタクシーを拾って今日の宿、大連賓館へ直行。本当は駅から近いんだけど、荷物があるからね。ホテルでチェックインを済ませて部屋に入ると、その広さにたまげてしまった。旧大和ホテルだったここは、天井も高く、部屋も異様にでかい。自室でコンサートでもできるのではなかろうか。なんとなくハルビンの馬迭爾賓館を思い出した。建物は古いけど、風情だけはたっぷりしている。 さて。朝が軽かったので、1時過ぎにはもうお腹がペッコペコ。まずは腹ごしらえというわけで、KFCに入ってみた。今回はこんなのばっかし。(^^; ジャンキーな食生活を送ってます。でも、ゆっくり座ることができて、地図を広げたり日記にメモをしたりということができるのはファーストフードの店くらいしかないのだ。 続いて新華書店で怒涛のお買い物。リュックにも両手にも本を抱え、腕が千切れそう…… ついでにお土産用の食料品を友誼商城で買いこみ、とりあえず荷物をホテルに持って帰った。ちょっと休んだら、またまたお買い物。今度はマイカルに行き、またまた食料品を買いこんだ。隣の太平洋百貨にも寄り、ここから実家にメールをうつ。そうこうしているうちに、いい時間になったので、適当に食事を済ませて帰ることにした。露店で羊肉串を買い、餡儿餅と盒子を買って食べた。これが今夜の夕ごはん。そのまま、今夜の目的地、足底マッサージの店(11日に行った南山賓館そばの店)までブラブラと歩いていると、珈琲館を発見。日本風のメニューにつられて、ついフラフラを入ってしまった。だってアイスコーヒーが飲みたかったんだもん。。。 メニューにはカレーライスや牛肉の煮込み等、日本にはないメニューもあったので変な感じ。珈琲館のイメージが…… 1杯のコーヒーで元気を取り戻し、再び歩いて足底マッサージの店にたどり着いた。入ると私のことを覚えていたらしく、「今日も足底?」という雰囲気。で、足の裏を揉んでもらう。はへ〜〜〜っ くぃ〜〜〜〜っ うひ〜〜〜〜〜っ やっぱり疲れてるのかなあ。足の裏がすごく痛い。ゴリゴリと凝りもあるみたいだし。でも、気持ちいい! あーあ、日本に帰ったらこんなに頻繁に足底マッサージはできないよなあ。つまんないなー ホテルに帰ってくると、中山広場にはたくさんの人が集まっている。ライトアップされた広場では踊る人、ゲームする人、地面に大きな筆で文字を書く人…… 思い思いに楽しんでいる。今日は平日、月曜日だというのに、みんな元気だなあ。ここに集まっている人たちは、皆本当に楽しそうだ。 私はホテルに戻り、シャワーを浴び、ビールを飲みながらスーツケースの中身を整理した。パジャマや洗面用具を詰めるのは明日の朝で十分。午後の飛行機だから12時頃に行けばいいかな。ということはホテルを出発するのは11時半か。朝は7時くらいに朝市に行き、また燻肉大餅を食べよう。そしてテレテレ歩いてお買い物に行こう。今、計算してみたら200元くらいは残りそうだ。何か自分のものを買おうかな。何か記念になるものを。 本日の歩数は15317歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月19日(火) そして、帰国 いよいよ帰国。そんな今日も晴れです。まさに天晴れ。 朝5時くらいから目が覚めてしまい、ベッドの中でゴロゴロしていた。だって外が明るいんだよね。6時くらいに思いきって起きあがり、さっさと身支度した。そして南山賓館の方へ歩いて行った。途中、中山広場で老婦人たちの踊りを見たりして、中国の朝を味わう。もう歩きなれた七七街を通り、トゥルトゥルちゃんに会いに行く。いたいた。トゥルトゥルもすっかり私に甘えて、膝に乗ったり、私の手をはぐはぐしたり。飼い主のおじいさんも目を細めて喜んでいた。 そして1週間ぶりの朝市へ。今朝は豆腐脳をまず1杯。続いて燻肉大餅を買う。店の人たちは私を覚えていて、「瀋陽に行ってきて、昨日帰ってきたんだよ」というと、とても喜んでくれた。「今日の午後に日本に帰るんだ」というととても残念がり、「今度大連に来たらまた絶対食べに来てね」と言ってくれた。こっちの人たちは「今度はいつ来る?」「来年来る?」と必ず聞く。私が仕事ではなくて観光に来ていることを知っていても、「来年またいらっしゃい」と必ず言ってくれる。それが守れない約束だとわかっていても、異邦人の私にはとてもうれしいものだった。 さて。お腹もふくれたところでまた七七街を歩いてもと来た道を引き返す。途中に幼稚園があったので写真を撮り、門のところに貼ってあった給食メニューを撮っていると、中から松嶋菜々子に似た先生が出てきた。「あなたはどこから来た人?」と松嶋菜々子が聞く。日本から来たと答えると、菜々子嬢は「あなたも幼稚園の先生なの?」と言う。私だって日本にいるときは松嶋菜々子に(声が)似ていると言われている。日中松嶋菜々子対決だと思ったが、まあそんなことはどうでもよい。 そしてさらに歩いていると、故障したタクシーが停まっていた。それを男3人と女1人で必死に押している。修理場に車を移動させたいのだが、修理場は坂の上にあり、どうしてもその段差が乗り越えられないらしいのだ。そこで私も「手伝うよ!」と言って一緒に力を合わせたが、どうしてもうまくいかない。そこで周りにいる人たちをさらに3人連れてきて、大人8人で押したところ、なんとか車は坂の上まで上っていった。修理場のニイチャンが、「君は韓国人?」というので、正直に「まさか。日本人だよ!」と言うと、みんな驚いていた。私、日本人なのに背が高いからね。でも、朝からいい仕事したわ〜 みんなが「一緒にお茶を飲んで行って!」と言ってくれたけど、あとの予定もあるのでそのまま失礼した。 何か気分がよかったので、コンビニでアイスを買って食べ、マイカルまで歩いて行った。9時の開店を待ち、食料品や文房具など、いろいろなものを自分の目に焼き付ける。そしてまたまた(恒例の)マックに寄り、コーラを1杯。本当はアイスコーヒーが飲みたいんだけど、中国のマックはコーヒーはホットしかないんだよね。 ホテルに戻ってテレビをつけると面白そうなドラマをやっていた。小蔓(←女)と区(←男)というカップルがいるのだが、区がばったりと昔の彼女である蘇小姐に再会する。区は蘇小姐に未練が残っているが、蘇小姐の方は区の現在の彼女であるところの小蔓のことが気になる。そして小蔓の方は昔の男(今は有名な歌手になっている)とアレコレあり…… 見ているうちに、想像通りの方へと話が進んで行き、小蔓と区の未来がとても気になったが、ここで惜しくもタイムアウト。そろそろ空港に向かわなければならない。重い荷物をひきずり、フロントでチェックアウトを済ます。タクシーを拾って空港へ一直線。 空港に着いてみると、せまい空港の宿命か、私の乗る便のチェックインは12:15〜13:15と時間が決められていた。何しろカウンターが6つしかないので、全ての便の手続きをこなすには、時間を区切るしかないのだ。私はまだ時間があったのでコーヒーを飲んで休憩。ランチタイムでにぎわう食堂を見まわしながら、ここは4年前と全然変わらないなと思ってホッとした。 チェックアウトでは私のスーツケースが重過ぎて(30kg!)、中国人GHの女の子に「重量オーバー! 760元!」と請求されたが、横にいた日本人のANA職員に「大丈夫ですからね」と言われ、事無きを得た。だって、飛行機に乗ってみたらガラガラだったんだもん。そりゃあ私の荷物が重量オーバーしても平気だよねえ。 飛行機は定刻に出発し、追い風の影響で定刻の20分前に日本に着いた。帰りのフライトも、その後の税関通過もスムーズだった。終わりよければ全てよし。空港でバスを待つ間、2階のカフェテリアでカレーを食べた。そういえば去年も帰国後一番にここでカレーを食べたんだっけ。日本に帰ってくるとカレーが食べたくなるんだよね。 こうして私の中国旅行は無事に完了。来年はどこに行こうかな、とすでに鬼に笑われそうなことを考えてます。 本日の歩数は17611歩。 (旅行中の日記より再構成) |
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8月20日(水) くるみさん…… 今日はくるみを引き取りに行った。あの、くるみさん、すっかり私のことを忘れてるんですけど…… ご主人様は私ですよ。わかってる? |
8月24日(日) タシルへ…… 昨日、今日と実家の近く(といっても、バス、電車、タクシーを乗り継いで2時間くらいかかる)の美術館で池田あきこさんのサイン会があった。それに合わせて私は一昨日実家に帰ってきた。当然そのサイン会に行くつもりだったんだけど、中国旅行の疲れも完全に抜けていないし、そこまで行くのがちょっと大変だったので途方にくれていたところ、それより近い場所でもサイン会が行われることがわかり、予定を変更した。13時からサイン会の整理券が配られるというので11時半に行ったら、まだ誰もいなかった。うーん。東京だと、午後のサイン会でも朝7時前にはみんな並んでるんですが…… 結局、12:45くらいに戻ってきたところ、私のほかに4人しか来ていなかった。13時になり、整理券を配られることになると……あとから来た人たちがササササーーーーッと並び、私はなぜか7番目だった。うーむ。私、一番早く来てたのになあ。 サイン会は15時からなので、しばらく食事などをして時間をつぶし、直前に戻ってくると何人か集まっていた。整理券の配られ具合を見てみると、どうやら26番目の紙が残っている。定員30名なのに。。。しかも、私なんて、母も父も巻き込んで、3枚整理券をもらったのに、定員に達してないんですかーーー? 結局10分遅れでサイン会が始まり、私も母も父も無事にサインをいただくことができました。私はデジカメを持参したので、池田さんと一緒の写真も撮らせていただき、感謝、感謝です。 |
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8月25日(月) うどんを食べる 先週金曜日に実家に帰ってきたので、今日で4日目。今日は一日中家でゴロゴロし、夜は近所のうどん屋に食べにいった。どうしても東京の真っ黒いつゆのうどんになじめない私。東京に何年暮らしていても、これだけは納得できない食べ物だ。 学生の頃にはときどき行っていた店だけど、最近はとんとご無沙汰で、本当に何年ぶりだろうか。昔よりもうどんが細くなり、コシも少なくなり、つゆが黒っぽくなった気がするのは気のせいかなあ? |
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8月28日(木) スーパーシート 先日、実家へ帰ったときの飛行機。乗ってみてビックリした。なんとスーパーシートがあったのだ。今まではレギュラーシートのみだったので、スーパーシートがとても気になった。そこで帰りの飛行機は席があればスーパーシートにしてもらうことに決めた。何しろレギュラーシートだと、普通に座った状態で膝が前のシートにくっついてしまう。前の人がシートを倒すと、私は斜めに座らなければならないのだ。 実家で飛行機の時刻表を見ながらスーパーシートの研究をしてみたところ、レギュラーと値段は3200円しか違わず、時間帯によっては軽食も出るという。席もゆったりしていて、アルコールのサービスもあるらしい(←昼だから飲まないけど)。見れば見るほどスーパーシートは魅力的だ。 空港に行って聞いてみるとスーパーシートに余裕があるという(実際には12席のところ、私を含めて3人しかいなかった)。早速レギュラーシートからアップグレード。係のおねえさんがJASの職員ではなく、地元の一畑電鉄の職員で、危なっかしいことこの上ない。動物の入ったケージをX線に通そうとしたり(ちゃんとハムスターが入っていることは告げてあった)、領収書をくれなかったりで、手際が悪かったが、何とか無事スーパーシートのチケットをもらうことができた。 飛行機は大揺れで、なかなか機内サービスが始まらなかったものの、乗ったとたんにキャビンアテンダントが至れり尽せりのサービスをしてくれて、こっちが恐縮するほどだった。念願のスナックはクィーンアリスのおかきとサンドイッチから選ぶことができた。私は迷わずおかきを選択。なるほどねえ(←何が?)。 というわけで、初のスーパーシート体験は大成功に終わりました。 |
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◆ 8月30日(土) Tシャツをたたもう 何を隠そう、私は「伊東家の食卓」のファンである。くだらない裏ワザから役に立つ裏ワザまで(中にはすでに知っているものもあるが)、発想の転換だとか固定観念にとらわれない物の使い方だとか、学ぶべき点がいろいろあるからなのだ。 |
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◆ 8月31日(日) つばめグリル なんだかハンバーグが食べたくなって、新宿に出たついでに“つばめグリル”に飛び込んだ。ここの「つばめ風ハンバーグステーキ」がおいしいのだ。アルミホイルに包まれたアツアツのハンバーグもうまみたっぷりでいいんだけど、横に添えられたベイクドポテトが甘〜く焼けていて食べる価値ありです(私の前のテーブルに座っていた女性は、ハンバーグとトマトだけ食べて、あとは残してました。もったいない……)。 |
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